ウォリアー・ロズ子(爆)

 今日も今日とて、とあるヒーラーさんのブログを読みつつ、「能天気(と言って悪ければ生ぬるい、と言っても悪ければ人任せ。)だなあ。」という感想を持った、不肖・ロズ子○○才。
 気に入らなければ読まなきゃいいのだが、好奇心からつい(いや、むしろ積極的に)読んでしまう(大大大大大爆発)。「今日もどんだけしょうもないことを言っているかしら。」という、本当にどうでもいい好奇心からなのだが、いやいや、「手放せば心配事はなくなる」だって(大大大大大爆発)。
 意識してもしなくても、心配してもしなくても、厳然と存在することってきっとあるわけなのよ(←注:私見。)。ほかの誰かが一生懸命、例えば原発について「なくす」運動を展開してくれているのにそれに協力しないのは悪い、とまでは言わないが、「反対するのもやめろ。意識しないために。」というのは果たしてどうだろう(←という私的疑問。)。
 物事を意識の問題に還元するあまり、現実認識が希薄になりすぎているんじゃないでしょうかね。それともただの逃避?????などとイジワルに考えてしまうのは、日々自分の面倒を自分でみなければならない私がそうでない境遇の人をひたすらひがんでいるためなのか(←でも、自分で自分の面倒を見られることぐらい幸せなことはないとも思うが。)、単に考え方の違う人をこちらに引っ張りこもうとしているだけなのか、まあいずれにせよそんなところだろう、自分
 と、自分を分析してみるのであった(←掘り下げ掘り下げ。)。
 そんな私は、かつてマイミクさんから「ウォリアー」と形容されたことがある(大大大大大爆発)。私は英語が激弱いので、「ウォリアー?????何それ?????」という感じだったのだが、どうもあとで調べてみるに、
 「戦士」という意味なのであった(大大大大大爆発)。
 いやーーーーーーん、こんなに弱気で繊細で妖精志向(←注:あくまでも「志向」が、である。そして残念だが、「志向」のみである【自爆】)の私が「ウォリアー」ですって〜〜〜〜〜???????と当時は思ったものだが、原発や政治の様子を見るにつけ、やっぱり人間、環境を変える努力は必要だよね(←もちろんよい方向にね。)。と思う昨今では、「やっぱり私ってウォリアーかなあ、自分。」と自分の性向を静かに反省する
 のであった(大大大大大爆発)。
 で、そんな今日注文してしまった石についていた名前(←販売者の方がつけられた固有名詞のようなもの)をネット検索で解読したら、意味が「真実」「戦士」だったので、「あーーーーーーあ、やっぱそれか〜〜〜〜〜。」と今若干脱力しているところなのであった(爆発)。
 そうねーーーーーー、希望としては「星」とか「光」とか「天空の女神」とかが良かったな〜〜〜〜〜(←注:見果てぬ夢。無理むり無理ムリ。)。と思いつつ、真実のために傷だらけになりながら元気に疾走する自分を想像し、もう一度「あ〜〜〜〜〜あ。(がっくり。)」と思う私であった。(爆。怠惰なので実際に疾走する心配は全然なし【爆発】。)