神の数式

22日は、午前中は(仕方なく)ボランティア、午後はその疲れで眠ってしまい、結果として「よく寝た」1日を過ごした、不肖・ロズ子◯◯歳。
私はボランティアが基本的に嫌いだ(爆発)。労働には対価を払うべきだし、特に国や地方公共団体が美辞麗句で推進するボランティアには、「国民を喜んでタダ働きするように教育して、経費を浮かせ、お上に従順な価値観と兵隊を作ろう。」という意図を読み取るからである(爆)。
22日の我がボランティアも、まさに地方公共団体 のお金と時間の都合によって開催されたもので、出たくなかったが、若干仕方ない事情があって参加したものである。果たして我が地方公共団体のナンバー2の人は、自分は軽トラの横でじっとして我々を眺めつつ、「人海戦術だ。まさにアリのように。」とつぶやいており、我々を「働きアリ」扱いしているご自分の意識(@激本音の部分。)を口に出して吐き出してしまった
のであった。(大大大大大爆発)
あまり働かない心構えで出かけたのだが、(軽めの)荷物を持たされて何往復もするうちに、腰が痛くなり、帰宅したら内腿も痛み、サロンパスを貼りまくって眠ってしまう。
夜も、NHKスペシャル「神の数式」を見ながら寝てしまったが、この「神の数式」に感銘を受けたのでちょっと書いておくのであった。
私は子どものころから数学が苦手で興味も全然なかったが、近頃では「数学を勉強するほうがいいかも。」と思い始めている。脳のバランスをとるためにいいのではないかと思うし、自分のまだ拓かれていない可能性も、全然できなくてやらなかった分野にあるに決まっていると思うからである(大爆発)。
数学に興味がなかった理由は、「つまらないから。」であったが、「神の数式」を見てその考えを改めた。物理学者は数式を通して神に近づこうとしており、同時に近づきすぎると神の怒りを買うと思っている(爆)。ロシアのブロンスタインなんて、空間に無限大をいっぱい想像して恐れつつ考えており、それはもう
ロマンチック
と思うのであった。(大大大大大爆発)
秋分の日から数学を勉強しよう(しみじみ。)。まずは計算問題でいいんだ。
と思うのであった。(しみじみしみじみしみじみしみじみ。)
鉱物や宝石も、どちらかというと「数学」や「物理」「化学」の世界に近いのかもしれない。できる過程は「地学」だし(爆)
私の脳の理系エリアも広げる方がいいかも
と思うのであった。(しみじみしみじみしみじみしみじみ。)