「美しい欲望」とは

 今日は3連休のなか日(←のんびり。)。不肖・ロズ子○○才は、昨夜ルミネッセント・ホワイトアンダラクリスタルを握って眠ったが、ここに特筆するような「何か」は特になかったのであった。
 「…なんだ、何も感じないなーーー。」と思いつつ起きて朝ごはんを食べ、ネットをチェック(爆)して過ごしたのだが、その後午後になってまたたまらなく眠くなり、またしてもコバルトブルーアンダラとルミネッセントアンダラを握り、2時間以上眠ったのである。
 金曜日もめちゃ眠り、夜もものすごく眠り、今日もめちゃ昼寝して、さらにこれから寝る気満々。昨日から今日にかけて、私はいったいトータルで何時間眠っているのであろうか(さあ。)
 もしかして、このアンダラクリスタルは、「眠り」石〜〜〜〜〜???????????????(←疑念。)
 眠っている間に、アンダラを通してどこぞのなにかとコンタクトをとっているのかもしれないが、全然意識できない。とにかくこのアンダラを見ていたりそばに置いたりすると、たまらなく眠くなるのであった(しみじみ)。
 さて、そんな今日、私は茂木健一郎の講演会を聞きにいった。
 脳科学が専門の茂木健一郎NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」を時々見ている私だが、茂木健一郎については、「出てくるゲストに比べると、なんか凡庸な感じ」(←失礼。)という印象を持っていた。今日の講演会に出かけたのは、「有名人だから。」「トレンドだから。」という理由にほかならない。で、実際の講演会はどうだったかというと…。
 大変参考になる話が満載であった(爆)。
 ご本人のいでたち・スタイルも、大変参考になった。
 まず、出てくるときだが、演台に向かって「小走り」で出てきた。講演会にもいろいろ行ったが、走って出てきた講師は初めてである(感心)。そして演台にたどりつくや否や、置いてあったミネラル・ウォーターのふたをきりきりとあけ、コップについでぐっと飲み干した。4杯ぐらいは飲んでいたと思う。
 水は講師のために置いてあるもので、飲む人ももちろんいるが、出たとたんに飲んだ人は初めてだ(再び感心)。
 演台の真ん中ではなく、端っこに立って時々股間を擦り付けながら(←失礼。)講演し、筋トレのためかそのほうが脳にいいのか、しょっちゅう片足で立ち、だんだん演台からはみ出て下手へ移動していく。帰るときも花束持って、走って帰っていった(←身体には余分な力が一切入っておらず、全体的にぶらぶらしていた。)。
 こういう行動と、講演内容から私が感じたことは、一言でいえば「自由」ということであった。
 私も会社勤めをして久しいが、組織に入ると「ああするべき」「こうあるべき」ということが大変多くなる。大学時代に感じた「自由の風」はここではすっかりなりを潜め、「きちんとした自分」「常識的なふるまい」「枠にできるだけしっかりとはまること」が求められるのである。
 ところがどうでしょう、茂木健一郎人間はこうありたいね。というか、こちらのほうが本来あるべき、自由でとらわれのない人間の姿なのではないだろうか(そうだそうだ!!!!!)。
 こうでないと自由な発想は出ないだろう。自由な振る舞いは、視野を広く持った結果だろう。とすると、がちがちの価値観で生活してしまえば、どんどん不自由になり、柔軟性がなくなっていくのであろう。
 茂木健一郎は、今日の講演の中で「本能というと、いかにも生まれたままの欲望であると思われがちだが、人間は欲望を美しいものに変えていくことができる。」と言っていた。
 現在の私の欲望は石に向かっている。金には向かっていない(←石貧乏だし。)というわけなのだが、この石に対する欲望を、美しい形に持っていくとは、果たしてどういうことなのだろう(さあ)。
 欲望の対象たる石は、どれも大変、既に美しいけれど(しみじみ)。
 何の道でも、極めれば「すごい」わけだから、私も当分、飽きるまではこのまま突っ走ろうっと(おいおい。)。