監督の皆様

 昨日のデトックス大会の余波(大爆発)で、今日はふくらはぎとおなかと背中が筋肉痛であり、(母岩付きダイヤモンド原石と白湯風呂に入りなおしたにもかかわらず)腕や脚の皮膚もかゆく、ほぼ1日やる気もなかった、不肖・ロズ子○○才(←運動&風呂疲れ。)。
 ただ、今日偶然見た番組により、昨日の「無謀全身塩風呂潜り」がちょうどキリスト教バプテスマと似ていたことを知る(びっくり。)。バスソルトもちょうど死海の塩だったしな(大爆発)。とにかく、私には全身の隅なき浄化が必要だったのであろう(←そもそもが澱みすぎ。)。
 夕刻にはだらだらしながらスモーキー・クォーツを眺めた。…この石はきっと、グラウンディングには最適だろう。それから、休息にも(しみじみ)。
 ところで、休日2日目で(つまり会社から離れて2日ということである)つらつら思うのは、やはり「競争心よりも身体のほうがずっと大事。」ということだ(しみじみ)。あたりまえのことなのだが、これを完全に忘れるのである、会社生活にどっぷりとつかると(大大大大大爆発)
 しかも、「井の中のナントカ」みたいな、「コップの中の嵐」みたいな、狭ーーーーーい世界の中のことで、外部の人から見たら「何それ。」というようなことなのになーあああーーーーーっ(大大大大大爆発)。
 サッカーワールドカップにまつわるもろもろを見ていても、そう思う(しみじみ)。今回のワールドカップの私的ハイライトはデンマーク戦の3点目における、本田選手のアシストであった。
 球捌きが華麗すぎて何回見てもよくわからないわ(注:私見。)。というような高度な技術だったが、全体的に「目標に向けてのオープンマインドでの協力」「個々の役割をきちんと果たす」が今回のワールドカップの日本チームの特色だったように思う。
 それをみんなで同じ方向に向かって褒めちぎって、空気で「美しい話」にしてしまうのもどうかとは思うのだが、でも日本選手のチームプレーは大変好ましいものだった。
 しかし、どこにでも舞台裏はあるものだ。中村俊輔選手の悔しさと無念さ、私はものすごく想像できるぞ(と思う)。
 あああ主役交替。それは絶対に、本人にとっては切ないなあ。(と小声で、しかしものすごい本気でつぶやく私。【本気なので勝手に大きい文字に《爆》) 
 そんな世界レベルでの話でも、外部から見たら「ふーーーーーん。」てなものである。ましてや会社内なんて(←出すな、自分。比べること自体が何かすごく失礼な感じ。なのであった。)
 昨日のドイツVSアルゼンチンは、体型の感じだけでもドイツが抜きん出ていると思った(注:印象。)が、両チームの監督がまた印象的であった。
 ディエゴ・マラドーナ(←ただひたすらに濃い。)。そして、ヨアヒム・レーヴ(←1回見たら「何、この人?????」と考えてしまう濃ーーーい哲学的風貌のイケメン。)
 ヨアヒム・レーヴについては画面に映っているお姿以上には何も知らないので、特に書くこともないのだが、とにかく存在全体が「濃い」感じなのであった。
 マラドーナについては、テレビで見た感じ、全体的に「自由人」であるとしか言いようがない。
 この間、yahoo知恵袋の相談への回答で、「社会人は会社において大人の対応をするのがあたりまえ」というような回答をあまた見て、心理的にも対応的にもコドモの私は、「そっかーーーーー、私みたいに感情をすぐ表に出すのはだダメなんだ(←ダメダメ。)。」と自分を反省したが、一方で「…でも、そんなに誰もが『大人の対応』をしているんだったら、私も会社内でものすごく暮らしやすいはずなんだけど…。(そうでもないよなあ。)」などとも思っていた。
 しかし、今日テレビでワールドカップマラドーナの様子を見て、考えを改めた。あの人はあまりにも自由に振舞っている。
 「ペレは博物館に行けばいい。ミッシェル・プラティニには近づきたくない。プラティニはフランス人だ。自分の国をどこの国よりも上だと思っているんだ。」だって。
 それで大目に見られているのは、マラドーナの憎めない雰囲気によるのか、結局「コドモ的自由」が天使的だということなのか、それははっきりとは言えないが、とにかく魅力的なことだけは間違いないようなのであった(しみじみしみじみしみじみしみじみ。それって結局、個々のキャラクターに負うところが大きいのだろうか【さあ。】)。