「伊達ニャオト」考

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ただいま22時49分(爆)。不肖・ロズ子○○才は、今日も眠ってしまいそうなので、「眠てしまう前に」と頑張って(?)この日記を書いているところである。
 今日は、南丹隕石を枕の下に入れ(←というか、「入って」いた。)、水晶を首の下に入れ(←これも朝起きたらそこに入っていた。)て目覚め、「外に出たら金星がとても明るく輝いていた」というのは昨日付けの日記に書いたとおりだ。
 その後会社に行ったら、私の隣の駐車場にいつもの若くて可愛らしい女性同僚ではなく、以前の上司(今は先輩同僚)が駐車していた。
 我が駐車エリア(の付近)は積雪時にはまことに駐車しにくくて私も困っているのだが、先輩同僚は可愛い女性同僚が困っているだろうと思って、駐車スペースを変わってあげたようだ(と想像)。「若い女性」のみにちょっかいをかける親切にするこの同僚の特徴がよく出ているとはいうものの、わざわざ変わってあげるとは、感嘆すべき親切さではないか。 
 と思った私は、声に出して言った(←注:ひとりごと。私は独り言をよく言うのである。)。「親切だなあHさん。感心しちゃったわ。(しみじみ。)」と(大大大大大爆発)
 彼はそんなことは知らず、修行中の僧のような面持ちでゆっくりと駐車場を歩いていく(←観察観察。)。そう、この先輩同僚は、大変親切で素晴らしいときもあるし、意固地で意地悪でしょうがないときもある(←注:いずれも「私にとって」である。)のだが…
 まあ人間、誰しもそうだよなあ(大大大大大爆発。もちろん私もそうである。)。
 彼は今日は1日概ね親切で、良い人であった。なぜか朝の一時だけ急に腰痛になったらしく、脚を引きずって歩いていたが、なんでそんなに急に腰痛になるのか、その原因のほうに興味を引かれる私であった。
 さて、昨日ネットでその見出しを見ておかしかった「伊達ニャオト」についてだが、動物保護施設にキャットフードを2.5キロだか届けたそうで、全国に現われている画一的善意善行の「伊達直人」より「ニャオト」にシンパシィを感じる私は、きっとやっぱり人道的にダメな女
 なのであった(大大大大大爆発)
 でもやっぱり、(いいことではあるのだが)「みんなで同じことをする」流行的現象にややひっかかりを感じる。困っているところは他にもいっぱいあるだろうに、児童養護施設へ善意が集中していることにも。
 まあそんなことを論評するだけで、何もしない私自身がもっともダメダメではあるのだが。(←実感。)
 「伊達ニャオト」はおそらく「ニャオト」になるためだけに動物保護施設を探すという、並々ならぬ努力をしたに違いない(と想像。)。からかっているなあ。と私は思うが、人も動物も等しく「命」であることには違いなく、ニャオトは本気でキャットフードを寄付したのかもしれない。
 いや、やっぱりそれはないか。(と、書いてるうちに思った私。)
 カンケイないが、「命」永らえても「若さ」が伴わないと結構悲惨だそうで(by『ギリシャ神話』)、ミトコンドリアの老化を遅らせることが出来るか否かがその鍵を握っているという本を今読んでいるところである。医学者ライターが書いたというこの本の記述は結構刺激的(しみじみ)。
 難しいところと興味がないところは読み飛ばしている(大爆発)が、先を読んでいってもっとおもしろいところがあったら、その点についてはまた明日の日記で(大大大大大爆発)。