アファーメーション

 昨日の沖縄の米軍基地県内移設問題をめぐる政治家の失言ニュースは、言ってる言葉も大変しょうもなかったが、市長?の「口が汚れるからコメントしない!!」というコメントが一番すごかったと思った、不肖・ロズ子○○歳。
 それは口が汚れるわな。(大大大大大爆発)。失言した人は本当に失言したのか、それとも実は沖縄の味方で、わざと失言して移設しづらい環境を作り上げたのか。(←想像。)しかし、民主党は謝りつつも、環境評価の計画は変えないということだから、謝って逃げて終了、にするつもりなのであろう。
 何だかなーーーーーー(大大大大大爆発)。いいのかなーーーーーー、そんなことで。(←いいわけないだろう、民主党!!!!!)
 それにしても、「犯す前にこれから犯すとは言わない(←注:趣旨。)」とは、なんてまあ威張り腐った言葉だろう。(しみじみ。)完全に自分を女性の上に置いて、上から目線で言っている言葉だ。
 こういう人は、普段からそういう性質である上に、きっと何か根深い劣等感があって、それをこういう思考と行動で解消しようとしてるんだろうなあ。と想像する私である。
 その意味では橋下もきっと何か根深いコンプレックスをかかえているのだろう。お山の大将なんて(私が想像するところにおいては)きっとそんなもので、だって何のコンプレックスもない人っていうのは、寛大で鷹揚で、絶対に威張ったりしないもんね(←注:経験則。)。
 と思うのであった。(爆発)
 そんな今日は、会社においても威張りん坊3名に出会い、私はキリキリと腹を立てた。
 いずれも男、いずれもいつも威張っている人々で、私が思うにやっぱりコンプレックスを抱えていそうな人々である(←見当違いだったらごめんよね、君たち!!!!!)。「自分の不満を威張ることで埋め合わせないでもらいたいね。」というのが私の彼らに対する要望である。
 だが考えるに、こういう人たちにとっては、実は威張らない人のほうがむかつくのかもしれない。なぜならそういう人にはコンプレックスがないから
 などとも思うのであった。(←注:個人的で根拠もとりとめもない考え。)
 そしてピンク・スギライトを握りながら「永久不変の愛」について思いを馳せた。
 今日は「私は愛している」というフレーズが頭の中によく浮かんだ日であった。私は愛している。私は愛している。私は愛している。
 何を?????????(←注:自分に問いかけ。)
 やっぱり「私を」でしょう(大大大大大爆発)。私は、私を愛しているぞ。どんなときも、無条件で、私は私の味方よ。
 と思ったとき、以前『愛のクリスタル』というローズクォーツ本で読んだアファーメーションを思い出した。「私は私を愛します。私は私を許します。」というアファーメーションだ。ローズクォーツは、自分を愛するのによい助けになる石で、握ってハートにあてながらこのアファーメーションを唱えるといいということであった。
 今日はこのアファーメーションがとても心地よい。私は自分のことを充分に愛していると思っていたが、それでもイヤだと思う自分の部分もあるし、自分で自分が許せないという部分もある。
 それでも私は自分を愛し、自分を許すのだ。無条件に。
 というわけで、夕方から断続的に「私は私を愛します。私は私を許します。」と心の中で唱えて、とてもよい気分になっているのであった。
 やっぱり自分のことを無条件にいたわらないとね。
 何となくそんな気持ちがするのであった。(しみじみしみじみ。)