「所有」という幻想(爆発)

ただ今午前2時43分(大大大大大爆発)。不肖・ロズ子◯◯歳は、午後10時には疲れ果てて眠ってしまい、先ほど起きていろいろやって、今この日記を書いているところである。
今日は「大丈夫かね、今日の仕事?????」という恐れを抱きつつ会社へ行ったが、仕事はまあまあうまくいったので、お昼には自分がいい気になるのを抑えるために、エレメージェバイト様とユークレースという寒色の浄化石たちを取り出した。私はいい気になると碌なことをせず、次には大失敗をやらかすことが多いからである。(大爆発)
石たちを眺めつつ、フワフワと浮つく我が「いい気」の抑制に努める。ホント、碌なことがありゃしねえんだ(爆)。自分をしっかり抑えなくては。(大大大大大爆発)
今日も大雨とか竜巻とか、日本では(いや、きっと「日本でも」だ)いろいろあったが、このこととある方とのブログから、私はやっと自分が何も所有していないということに思い当たった。実感した、というべきか。
そっかーーーーーーー、私って、水も食べ物もその他のすべても、地球や自然から頂いて生きているんだな〜〜〜〜〜。(←しみじみと実感【爆発】)その意味で私は何にも所有していないし、地球からいろいろと「収奪」して生きてるんだ。(大大大大大爆発)
石の「所有」も含めて、上記のことを今までも言葉では唱えていたが、本当に感じたのは初めてかも、なのであった。
人から「買う」から、自分が持ってるとか自分のものだとか自分に権利があるとか思い込んじゃうんだな〜〜〜〜〜。(しみじみ。)
その意味で「経済」は人類に夢を見させている
と思うのであった。(しみじみしみじみしみじみしみじみ。)