中村うさぎと風呂グリッド

 aveさんから紹介していただいた中村うさぎの対談集『変?』を読了した。
 この日記にも2回ほど登場したうさぎだが、実は今まで彼女の著作を読んだことはなかった。週刊誌の連載とか、新聞の企画などでたまにうさぎの文章や発言を読んで感心したことはあったが。私のうさぎについての知識は、「ブランド物命!の借金まみれの人で、それをネタに文章を書いている人」「近頃の興味はホストと整形に移行中」という、表面的なものでしかなかった。
 しかし、aveさんも「秀逸」と言われる『変?』を読んで、うさぎの志向と私の石好きには多くの共通点があると気づいた。私には、「石に依存症」の部分がかなりある。家人は「アニミズムだろう」と言うが。強くなりたい、自信を持ちたい、いい方向に自分を変えたい。変身願望と、その先にある超人願望。普通の人には聞こえない、石の声を聞きたい。特別なメッセージを受け取りたい、特別で神秘的な世界を見たい(このあたりの願望には、好奇心も入る)。「完全無欠の私」「他人より優れた私」になって、他人から尊敬され、愛されたい。そうなって初めて自分の価値を信じられる。本の中で、どの依存症の方も、だめで弱くて愛されるに足りない自分から脱却し、理想の自分に近づこうともがいておられたが、私もその一人。だからローズクオーツが大好きなのね。昨日も久々にディープローズを見て、「きゃーっ、やっぱり格別にすんばらしいわっ!!!」と心がぶんぶんに揺さぶられたが、ディープローズは「自己を愛する」石だもんね。
 そうすると私にとっては、スキルアップのための勉強も、健康維持のための運動も、精神安定のための石愛好も、すべて根っこは同じということになる。他人より抜きん出るため。生存競争に勝つため。不確かかつ不正確な他人の評価がそんなに大事か?だいたい、自分の価値って、何?人より優れているって、どういうこと???と考えていくと、結局誰よりも強く有利に生き残るため、という結論になる。複雑な本能ってことかな???
 書いてるうちにいやになってきたが、他人の評価を気にするのは意味がないということと、でも家から一歩出ればどんなつまんないシチュエーションでも他人の評価を120%気にしている私という現実、この二つは確かだと思う。昨日も車の中では「他人の評価を基準にして自分の価値をはかり、価値がなきゃお前を愛してやらないよ、と自分に言う自分は変。価値なんて時代の変遷でころころ変わる共同幻想だし。」などと思いながらも、車を一歩出て書店に入れば、こちらを指差しつつ笑い、ひそひそ話をする小学生2人組を激しく気にする私。うーん、習い性ですねえ。生まれた次の瞬間から「他人の目の恐さ」を刷り込まれ(いや、自分で刷り込み)続けている、と言えば、それまでだが。
 中村うさぎ、石に例えれば私の持ってるマゼンダホットピンクのトルマリンであろうか。派手で、じたばたして、ベクトルがけっこう外に向かっているところが。バイカル湖畔という静かで寒くて暗くそうな場所がルーツ、というところもうさぎっぽいぞ。もっともうさぎ本人は福岡生まれの横浜育ちらしいが。(明るそう。)
 というわけで、narayaniさんの追加お題に「ピンクトルマリン」も加わったし、昨日はアクア(マリンスカル)ロズ子とアンダラクリスタルピンク、マゼンダピンクトルマリンにブルートパーズというメンバーで風呂に入った。浴槽のはじっこにこれらの石をのせ、我が分身・アクアロズ子ちゃんを中心にグリッドを作る。アクアロズ子は美人石に囲まれてなんとも嬉しそうであったし、アンダラちゃんも大好きな風呂で「いつもより濃いピンク色でやっております。」とばかりの、上機嫌のサービス。
 こんなふうに無邪気に素直に生きればいいのね。石の皆さん、このたびも大変勉強になりました(感謝)。