サファイアにお願い

 ナチュラル派の私であるが、お守り代わりに「プログラミングされた」サファイアを1個持っている。ミャンマーはモゴック産。毎朝、修羅場、じゃなかった、職場に出かける車のなかで、「今日も満足できる1日を送れますように。」等願掛けし、心配事があれば「○○についての心配が解消しますように!!!」とものすごーく念を入れて願う。それで私は安心するという、精神安定剤のようなたのもしい(石は迷惑しているだろうが)1品なのである。
 さて、今日も今日とて修羅場、じゃない職場では、人間関係を中心に腹のたつことがいくつかあった。昼過ぎまではキーッとなりながら過ごす。思うにこのストレスの原因は、私の人間関係形成力のなさに由来しているのだが、わかっちゃいても自分はそう簡単には変えられない。ましてや他人を変えることはさらに不可能に近い。ほほほほ、もうあきらめるわ…とかなんとかいいながら、毎日あきもせず腹を立てたり落ち込んだりしている私なのである。
 ところが今日の夕方近くから、何がどう転んだのか、私にとって快適な風が吹き始めた(自分フィルター評価)。当然気分がよくなり、こみ上げるような喜びを感じたのだが、その一方で「あんまり調子に乗るなよ。」とか、「幸せ気分はそのへんでやめとけ。」と自分を抑えようとするもう一人の自分がいることに気づいたのである。
 それはなぜか。私は自分に、「幸福と不幸は隣り合わせだ」と深ーく信じ込ませている。これは、子供のころに読んだ『世界の民話』の中の「塞翁が馬」の話のせいだ。幸福のあとには、必ず不幸がやってくるものなんだよ。手放しでいいことを喜ばず、自分を冷静に保って、次の不幸を回避しなさい。
 この(たぶん無意味な)刷り込みが、私をして瞬間の幸福をじっくり味わわせしめず、という状態の原因になっている。幸福感を長く味わってると、次にどっか〜んと大不幸が来ますよ、だからニマニマ笑うのはやめて、への字口で警戒しなさい!!!と私は自分に命じているんだ。でも、それって、人生の過ごし方としては、あまりにもったいなく、あまりにつまらなくはないか。
 そこで今日は帰りの車のなかで、ミャンマーサファイアにお願いをした。「瞬間瞬間の幸福感を充分味わいつくすことを、自分に許せますように」と。
 全く、自己防衛が強すぎるとろくなことがありゃしない。乳幼児のように、自由に、ストレスなく、喜びに満ちて生きていけるようになればいいのにね。起こりもしないことを心配して自分を牽制するなんて、ほんっとーに無駄だわ。愚の骨頂だぞ、ロズ子!!!!!
 てなわけで、今日もサファイアにいろいろお願いして、「やることはやったわ!!!」という自己満足にひたる私。今日も平和ね、めでたしめでたし、なのでありました。
 そしてサファイアさま、私の秘密のお願いも、どうぞどうぞかなえておくれ〜(欲)。