清明節の石

 今日は清明節。暦にふさわしく、春らしい明るい、さわやかな日であった。「光りあふれる」とはまさに今日のような日のこと。春って、いいね〜。
 対する職場の方はまことにお寒い状況で、私の人望のなさが際立つ1日であった(よく際立つんだ、私の人気のなさ。とほほ。)。人々が私の周りを避けて着席していく…。ううう、ドーナツ化現象。鉛を呑んだような気持ちだが、この事実に執着しさえしなければいいんだ!!!私は「私」以外のだれかを好きなわけでもないし。好きでもない相手に好かれようというのも、考えてみれば虫のいい話だ。
 さて、わたしのしょうもない心の揺れには全く関係なく、すばらしい今日という日。清明節の青空にぴったりの、光りあふれる石(こればっかりですなあ。でも私、光のカタマリのような石が好きなの。)、今日の「職場のお供石」は、一体何であろうか。
 真っ先に頭に浮かんだのは、アクアマリン結晶であった。「空=水=光」という連想によるに相違ない(単純)。今日という日にはアクアマリンがぴったりね!!!と、柱状結晶を探したが、なぜか出てこない(なんでや〜。私と職場へ行くのはお断りってか。)。アクアロズ子ちゃんもアクアマリンだが、「墓参りする日」(by MO☆MOさんの日記)に「ドクロ(失礼!)」ってのも、何かが合致しすぎでコワイ。一休さんの「お気をつけなさい−正月ドクロ」みたいだぞ!!!!!
 次に頭に浮かんだ石は、エレスチャルであった。
 メキシコ産のホワイトエレスチャル。大きくて、丸くて、虹虹で、朝日を反射するとミラーボールのようにあたりに光を撒き散らす。見つめていると吸い込まれそうにボーッとしてしまう石。これよ、これだわ。これこそ(アクアマリンの次に)清明節にふさわしい石よ!!!
 実はこの石は、私にとっては「膿み出し石」のようで、手に入れたばかりのころ職場に持っていったら、すぐ仕事で失敗してつらい立場になったという、(まあそれがこの石のせいかどうかはわからないが)私にとっては感慨深い(どういう表現や。)石である。おまけにこれを見つめていると、半瞑想状態になってしまう。つまり、仕事には全然向かない石なのだ。
 でも、そんなことどうでもいいもんね(よくないって)!!!!!私は今日はこの石を持っていって、清明節の太陽を浴びたいの!!!!!!ということでやっぱり持っていった。…そしてこの石は、車の中で太陽を浴びてきらきらと輝き、それはそれは美しかった。
 で、今日の職場での首尾は最初に書いた通りである。自分が職場で孤立気味であるということをまたしっかりと認識してしまった。(痛い。)
 でもそれは事実であるから、認識しといたほうがいいのかも(何で認識しといたほうがいいのか、はわからないが。)。エレスチャルちゃんにまたまた膿み出しをされたかもしれない私。へへえ、どうもありがとうございますぅ(と言うしかない)。
 家に帰ったら帰ったで、心配ごとが一つ発生していた。ううう、心配というか、気分が悪いというか。でも、「手放せば」楽になる。執着してるから辛いんだ!!!!!
 わかっちゃいるけど手放せぬ私。今日はそんなどろどろの何やかやを浄化するために、ホワイトエレスチャルを持って寝ます。ああ、どうか、払いたまえ、清めたまえ〜!!!!!!!!
 ところで、今になってやっと、「エルって、『骸骨水晶』だったな…」と気づく私。
 「清明節の石」は、やっぱりドクロのようで(爆)。