死について考える

 この数日、吾妻ひでお氏の漫画『失踪日記』を読んでいる。吾妻氏が(たぶん)なにもかもいやになって、突然家を出て路上生活を送ったことその他が書いてあるのだが、本人は確かに「逃げた」のだろうが、その選択のために何よりもきついことになっているように見えるという。「いや〜、よく魂を磨いていますね。」と感心してしまうような、そんな壮絶な体験が客観的に描かれている。う〜ん、ある意味求道者みたいですね、吾妻先生。寺にこもって修行するのと、果たしてどっちが大変なのか?????
 さて、その『失踪日記』の中に、私も小学生の時に夢中になって見た東映のテレビドラマ、「好き!すき!!魔女先生」のことが少し出てきた。石ノ森章太郎の『千の目先生』を吾妻ひでお氏がリメイクして少女漫画誌に連載したようなのだが、驚いたことに、このドラマの主演女優・菊容子が24歳の若さで亡くなったのだという。
 えー?????ホントに??!!!私あの人好きだったのに!!!!!「死」とは思いっきり遠そうな人だったのにー!!!!!!!!!!!!!!
 競演していた森本レオは、今も健在だ(私はこのドラマの時の森本レオも好きだった。茫洋として幸せそうな、あの感じがいいね。)。生きるとは????????と、頭の中で「?????」が100個ぐらい渦巻いた感じの、今日1日であった。
 私がパワーストーンに走った要因の一つとして、この「好き!すき!!魔女先生」はかなり大きな部分を占めている。主人公の魔女先生・月ひかるは、月の光で指輪にパワーをチャージして、「ムーンライト・パワー」を使う。指輪の感じは、まるでムーンストーンみたいだ。
 子供の頃、おもちゃの指輪を買ってもらっては、いとこや兄弟と一緒にこの「魔女先生ごっこ」をしたものだ。
 そう考えると、○十年が経過した今も、私はたいして変わっていない。進歩してないというか、大人になっていないというか。だが、それは果たして問題なのか。自立して生きているのであれば、それでいいのではないか(開き直り。私、「自立している」とはとても言えないし。あちこち、多方面に迷惑かけて生きているのよ〜ん。ふ〜んだ!!!!!【またまた開き直り】。)。
 今ではさっぱりムーンストーンに興味のない私(なぜなんでしょうかね…。)も、パワーストーンに走りたてのころ、初めてムーンストーンを見たときは、「すっごい神秘的!!!!!!!月のパワーが宿っていそう!!!!!!いや、宿っているに違いないわ!!!!!」と大コーフンして、ためつすがめつながめ、飽かずコミュニケーションをとったものである。未来が見える、というので、月が欠けていく時期にムーンストーンを口に含んだり(全く何にも見えませんでしたわ。やっぱり本人の素質も必要なのね。おーっほっほっほっほっほっほ。【ちっ、残念!!!!!】)、月光の下でムーンストーンのシラーを眺めたり、月光でムーンストーンをチャージしたり…。
 かように私と私の石ライフに影響を与えた女優さんが、若くしてこの世を去っておられたとは!!!!!
 亡くなったあと、現在はやはり銀河の彼方にいらっしゃるのであろうか、などと考えてしまう、ちょっとセンチメンタルな初夏の夜である。