ロズ子、病気になって初めて身体の言うことを聴くの巻

 ♪嵐のよーにー 現れてー♪♪嵐のよーにー 去ってゆくー♪♪♪
 昨日明け方に発病した病は、本日お昼に去ってゆきました。病気様、今回も貴重な学びをありがとうございました。(合掌)
 てなわけで、ウイルスまたはシトリンエルまたは食中毒菌の吐き出した毒素による「吐き下し+高熱+頭痛=倒れるほどの眠気」病は、嵐のように去っていった。病気ちゃん、来るときも帰る(どこに???)ときも、台風みたいだね。君をジェーンと名づけよう(思いつき)。
 このたび病気を体験して、その大変さ、普段の私の思いやりのなさ(体調不良の人に対する)、身体の声を聴くということなどがよーくわかったよ(ホントか???)。ホントーにありがとう(心がこもっていない)。でも、できればもう来ないでね〜(本音)。
 上記のようなことにいまさら気づいた私であったが、中でも、「身体の声を聞く」ということについてはちょっと考させられた。身体のあちこちが「もう休んでくれー」とか、「ぎゅるるるる〜」とか言い、頭の右奥は「きりきりきり。痛い痛い痛い〜!!!!!」とか言っていたが、それによって、脳も身体だということを改めて認識したのである。
 「脳も身体」。あたりまえのことなのだが、いままで私は「大脳は身体ではない」と思っていた。「大脳が身体をつかさどる」と思っていたのだ(なんとなく)。
 でも、脳があってその下に身体があるわけじゃない。実はみんな等価なのでないだろうか(極論)。
 臓器移植問題などもあるので、「みんな等価」というのはちょっと…だと思うのだが、でも私の大脳がこんなにも胃や腸に影響されるという事実…。少なくとも、「痛い〜。」「苦しい〜。」「休みた〜い。」と考えてたときの私の脳みそは、胃や腸に負けてたねえ。迫力という点で。
 身体の調子がわるければ、いつも「意識」して伸ばしていた背筋も、どうしても丸まってしまう。いつも「意識」してあげていた目線も、どうしようもなく下がってしまう。見つめるのは自分の身体の中のみ、聴くのは自分の身体の声のみ。
 身体のどの部分も等しく大切にしよう!!!と改めて思った私であった。
 「身体」ということにフォーカスする石は、どんなものであろうか。ジェーンアン・ドゥが『クリスタルジャーニー』で、「肉体の石」というカテゴリを作っていたな…。
 今、『クリスタルジャーニー』は手元にないが、思い出すにガーネットが「肉体の石」だったような気がする。他にはカーネリアンかな…。シトリンもそれっぽいな…。
 「身体の声を聴く」。やろうと思えばいつだってできそうなことであるが、ビョーキになるまで身体の声に耳なんか傾けてなかったということに気づいた私であった。
 ところで、同時に同じ病気になった家人2人であるが、私が医院からもらってきた薬を分配し(医師が聞いたら怒るでしょうなあ。)、めでたく私よりも早く治癒したのであった。
 丈夫だねえ、君達。私は悔しいよ、遅れをとって。
 それにしても家人の4分の3が同時に同じ病にかかる。これの示す霊的意味は何であろうか?????我が家は何かが間違っているのか?????  
 それともやっぱ、超強力なウイルス?????(爆)