ライフ・ジェム発見!!!!!

 今日は例の「おねんじゅ」がくすんだ色になったように見えた(もちろん光源の影響かもしれないが)ので、浄化にいそしむことにした。ロードクロサイト製なので、「塩に埋める」だの「流水にさらす」だのは、変質が怖くてとてもできねえ。そこで、「お香(ナグチャンパ香)にくぐらせて」「水晶クラスターに載せる」これでいきましょう!!!と思い、そのように実行した。
 ほぼ半日クラスターに載せっぱなしの現在、かのおねんじゅは若干生気をとりもどし、赤味とつやを回復したかのように見える(自分フィルターによる評価)。もうちょっと載せておきましょう(貪欲)。そして、やたら元気なのは、クラスターの方なのであった。もおう、考えられないほどぴーかぴかね!!!!!(感嘆。)
 そんな今日、浄化の合間に愛読する朝日新聞をめくった。昨日はスギさま(人間)の記事に驚いたものだ…。
 そして、今日の朝日新聞は、私を「ライフ・ジェム」の記事で驚かせてくれたのである!!!!!
 ライフ・ジェム…。以前葉子さんが「巡業日記」でも言及しておられた、あの、遺骨・遺灰からできるというダイアモンドだ。葉子さんは「自分はどんなジェムになるのか、興味がある」というようなことを書いておられたような気がするが(うろ覚え)…。そして、私も自分がどんなジェムになるのか興味があるが(どうもできそこないになりそうな予感もするが)、いずれにせよ、完成品を自分の目では見られない、というところがちょっと残念である(おいおい)。
 さて、新聞の片隅に載っていたその記事は、何か他の記事とは不調和な感じで、まさにとってつけたようであった。白黒とはいえ、キラーリと光るライフ・ジェムの写真(ううう、なんかこわいよう。すごい迫力)。記事とも宣伝ともつかぬ、意図不明の文章。コマーシャルなんでしょうか、これ。それとも、インフォメーション?????
 今カナダで3歳児か4歳児をやってるはずの、亡き父を思い出した。父は身体は弱かった(というか、慢性病持ちだった)が、歯と骨はやたら丈夫であった。パーツがいくら丈夫でも、本体の生命の火が消えたらどうしようもないものだということを父の死で実感したものだが、さすが骨自慢だけあって、荼毘に付したあと、残った骨の立派だったこと!!!
 立派過ぎて骨壷に収まりきらず、左右の大腿骨を焼き場に残して来てしまった。母は「仕方がない」と思ったようだったが、私はあの立派な大腿骨に執着があった。
 あれは父の一部だ。持ちかえって供養しなくていいものか。家においておいたら、父をしのぶよすがになるのではないか。
 ライフ・ジェムはマグカップ1杯分の骨か240ミリリットルの遺灰で作成できるのだそうで、するとあの大腿骨でだいぶ大きなジェムができたはずだ。あのころはもちろんそんなことをしてくれる会社はなかったが、父をジェムとして常に身近に持っておけば、どんなに心強いだろう。
 てなことを夢想してしまったが、ライフ・ジェムにはやっかいな問題もありそうな気がする。「私」が大好きな「あの人」を持っていられるうちはいいが、やがて「私」もはかなくなってしまったら、そのときはどうするのかな。①ライフ・ジェムも一緒にひつぎにおさめてもらう。 ②ライフ・ジェムも一緒に埋葬してもらう。 このどちらかだろうな…。子孫に伝えるのは、ちょっとなあ…。
 また、恋人同士やパートナーのどちらかが不幸な目にあって、片方がライフ・ジェムを作るということがもしあれば、それも問題になりそうだ。
 月日は流れ、新しい愛が見つかる。そのとき以前のパートナーのライフ・ジェムはどうなるのか。
 「あなたの知らない世界」みたいなワンパターンホラーな展開になりゃしないか。などと、起こってもいないことに気を揉む、なんか無駄な私の夏の宵である。