トライゴーニックと眠る土曜日

 今日は土曜日だ。5日ぶりの休みの日である。
 近頃会社でも家でも仕事詰めだったので、今日はたいへんまったりと休んだ。どうまったりだったかって、午後5時から6時半まで、トライゴーニックを握ったまま気を失っていたのである!!!!!あああ、そんなつもりはなかったのに、全く、起きてびっくりだ、!!!!!しかも身体は動かない。見れば家のあちこちで、家人も同様に気を失っている(爆)。みんな疲れているんだねえ。(しみじみ。)
 さて、今日の夕方寝(爆)でも握り締めていたトライゴーニックだが、昨日の晩もこれを握り締めて眠り、その前の日も、そのまた前の日も…というわけで、ここ1週間か2週間ぐらいは、この石を握って眠っている。私の手の脂のせいか(爆)近頃透明感と白さが増してきたような(爆)。いつも枕の下から輝くような色で出てくるもんね。
 もともとこの石は、割れ目に入り込んでいる土のせいで、全体的に黄色っぽい感じであった。しかし、ちかごろはちょっとぴーかぴかである。これがCEDARさんのおっしゃるところの「目覚めた」状態なのであろうか…。でもこの石は手のなかで「じんじん」することが少ないので、持っていても問題なく熟睡できるのだが。
 トライゴーニックの定義が「上向きと下向きの三角がある」ということであるのなら、このトライゴーニックは下向きの三角オンリーだから、トライゴーニックと言えないのかもしれない。何にせよ、この蝕像はかなり不思議だ。どうして下向きに三角が彫れているのかな(疑問)。酸とか熱水とかで溶けるらしいけど(注:うろ覚え。)、どうして三角に溶けるのかなー?????
 この三角を指でなでながらコタツにはまるというのが、私の現在の「至福の時」である。あったかいコタツと冷たいトライゴーニックの、コントラストがいいんだ〜。
 昨日ようやく届いた本田美奈子のベストアルバム「LIFE」(このタイトルがまた、何だかなー、なのだが)のジャケット写真では、美奈子さんは層状になった石か化石か木のような模様の波打つ台の上にうつぶせに横たわり、手には水晶(!)を持っている。そうそう、コレよ、コレなのよ…!!!!!やっぱり美奈子さんも、晩年は水晶に惹かれたのだろうか。それともやっぱり、ジャケット撮影上の小道具に過ぎないのか。
 小道具に過ぎないとしても、水晶を握り、視線をどこかに漂わせる美奈子さんの写真は、とても美しい。この人のこの肉体が、もうこの世にはないなんて。
 アルバムを聞けば、涙なしでは聞けない最初の1曲「キリエ」から始まって、「愛の賛歌」「Oneway Generation」「1986年のマリリン」「Temptation(誘惑)」…そして「つばさ」へと続く。「1986年のマリリン」や「Temptation(誘惑)」あたりの声は、いかにも「グラウンディングしていますね。」というか、現世的な欲望や競争心もあったであろう頃という感じの、言ってみれば「安心できる」「地に足のついた」声だが、これが「One Way Generation」になると早くもメッセージソング的な、「誰かのために、みんなのために」のような感じが出てきて、「つばさ」になるともう、今回の運命を美奈子さんの深い部分はここですでに知っていたのでは、と思わされてしまう。当時もいい歌だと思っていたが、今やもう。天上から響く「お誘いの歌」のようだ。「一緒に行こうよ」という。深く重く、考え込んでしまった。
 握っている石もクリスタルなら、声も天上のクリスタルボイスへと変容していった本田美奈子さん。今回の美奈子さんの死は、「天上の歌声」を速く遍く世間に広げるという役割を果たしたのかもしれない。
 美奈子さんの病気や死がなければ、私も彼女の「つばさ」を改めて聴きなおすことはなかったろうし、ホルストの「惑星」からの曲「ジュピター」やジャンニ・スキッキの「私のお父さん」、それに「アヴェ・マリア」「アメイジング・グレイス」を彼女が歌っていることすら知らずに過ごしていただろう。これらの歌の触れるチャンスを逃していたに違いない。
 今頃本田さんはどうしているのだろうか。やっぱり「光」になって宇宙の彼方にいるのかな、と、想像してしまう私である。