「手放す」石

 今日は時折「Y染色体」に支配されつつ過ごした。昨日「あまりのばかばかしさに」などと書いたものの、あまりのカルチャーショックでこの事項が頭から離れず、時々フラッシュバックするのである。
 すべての生物は、利己的な遺伝子の乗り物に過ぎない。この理論を耳にした時から、「おお、そうかも。」と思っていた。そうなると私たちは(って、おまえと一緒にすな!!!!!と怒っておられる方もあるかもしれないが)、生まれてから死ぬまでの間、遺伝子様にとっては単なる「乗り物」だ。赤ちゃんは「新車」で、私などは「中古車」である(ムカツク〜!!!!!)。使い物にならなくなれば、「死」が訪れるが、それまでに遺伝子様は「生殖」によって新たな個体へと一部移動してゆく。(だから遺伝子様は困るだろうねえ、生殖してもらえないと。現代日本少子化には、危機感ありありでヒイヒイ言っているのかもしれない。)
 この理論についての評価が現在どうなっているのかは知らねども、今回の皇位継承についての問題で、私はこの理論を思い出した。男系そして万世一系天皇とは、ある特定のY染色体の乗り物であったのか!!!!!それはそれでスゴイような気はするが、しかし、しかしだ。そんな肉眼で見えないようなミクロなものを、後生大事に守ろうとする方々がけっこういるということは、いったいどういうことなのか。
 「2600年の歴史を持つ、由緒正しいY染色体を守りましょう」ってか。うーん、それにいったいどんな意味があるのか。意味があるような気もするし、ないような気もする。秋篠宮様なんか、とってもY染色体に見えてきたぞ!!!!!(暴走する妄想。)
 何か、「トキを守りましょう」とか、「コウノトリを保護しましょう」みたいな話に思えるのだが、珍しいものの保持って意味で。ただ1つ言えるのは、それがとっても保守的であるということだ。
 スピリチュアルでよく言われることは、「執着を手放しなさい」「開放しなさい」ということである。私自身、ものごとによくしがみつくほうだが、しがみつく(=保守にまわる)とロクなことがない、というのがしがみついた挙句の実感だ。
 だって、しがみつくと、自分が不自由になるんだもんね!!!!!自分が手に入れた(と思っている)あやうい既得権を守りたい、他人から頂いた(と、妄想している)よい評価を保持したい、そのために言動はこうして、振る舞いはああして…などとやりだすと、ホントーに不自由になるばかりか、物事が大変うまくいかないように感じて、ずーんと落ち込んでしまう。
 だから私は、石の力を借りてでも、「手放すことができる」人になりたいと思っているのだ。だって、そのほうが楽で楽しそうなんだもん!!!!!もちろん、そうなるのは不可能かもしれないし(なんせ執着しやすいんで、私。)、第一、件の「石」に執着してしまうのだが。(おバカ。)
 言いたいのは、「目(注:肉眼のこと)にも見えないY染色体にこだわるというのは、いったいどういうことなんでしょうか」ということである。それを手放して、もっと自由に皇室を続けていったらどうか。第一、万世一系っていうけど、ホントにそうなのか。2600年もの年月中だ。実はあちこちでごちゃごちゃしているのではあるまいか(疑問。)。
 さ、今日は「Y染色体」についての考察に支配されちゃったぞ。手放すことを手伝ってくれる石は何かな?????
 うーん、わっかんないなあ。やっぱ、スタンダードなところで、カイラス山水晶かな?????「破壊の神様」だし!!!!!(爆)
 …シヴァ神も持っているのであろうか、偉大なY染色体を…。リンガムというものもあるし…(爆)。