お釜その後

 今日は遅ればせながら、「吉備津の釜」の鳴釜神事についてネットであれこれ検索した。
 何と、昨日のあのお釜係の女性は、吉備津彦の命が退治した渡来人「温羅」の奥様、阿曽媛であるという。今では岡山県阿曽村(?)の女性が、お役目を授かって、鳴釜神事や釜のお世話に従事するのだそうだ。
 だから、家人が車中で「あっ、阿曽町だって!!!!!」「阿曽だって!!!!!」「阿曽!!!!!」と、やたら騒ぐと思ったんだ…(無知な私)。家人は知っていたのであろうか、お釜の下に温羅の首があるとされていることを。知っていたんでしょうなあ、きっと。(しみじみ。マヌケな私。)
 さて、鳴釜神事もスピリチュアルだし、石も、ニューエイジもスピリチュアルだ(一くくりにしていいのかなあ【迷い】。)。今日はmixiを読んでいて、「はスピリチュアルにどうかかわるか」ということを、大変考えさせられた。
 私が今、共感するスピリチュアルへのスタンスは、パラトラバ雅氏の『呪いの研究』や、HP「気功の穴」の感じである。「気功の穴」を読んでいると、「私って、ものすごく気の壁が厚いかも…(勘)。でも、どうやらあまり薄くしないほうがいいかも。」などと思ってしまう。石のバイブレーションをはっきりと感じるためには、「気の壁」を薄くしたほうがよさそうなのだが、でも、気の壁を薄くするとあらゆる「気」が感じられるようになり、それはそれで大変に大変らしいのだ(読解)。
 こんなに鈍感な私でも、日々たくさんの石に触ったり、握って眠ったりしているためか、時々「尋常でない感覚」を感じる時がある。ハートがドキドキする、頭頂が回転しているような気がする、わき腹やみぞおちのあたりが過敏になっている感じがする、etcetc(たいしたことないか【爆】)。
 これは、「気のせい」といえばまさに気のせいな感じであるし、しかし「気の壁」が多少薄くなったせいでもあるかもしれない(超大胆な推測)。私は好きで石を集め、石を握り、できれば石の声を聞きたい、ビジョンを見たいと思っているのだが、その出発点はやはり、「石から特別なパワーをもらいたい」「特別な力を持つ私になりたい」という願望であった。
 今でもそういう願望は、激しくあると思う。お釜の音を聞きに行ったのだって、現世利益と「不思議に触れる体験」を求めてのことだ。新しい世界を見たい、そこに足を踏み入れたい、という願望も確かにある。あああ、私よ、私はどのようなスタンスで、これから石と付き合っていけばいいのであろうか?????????
 今までどおりでいいんじゃないか?????どうせややこしく考えても、結局出発点に戻るだろうしだって私って、何事もそうだもの。(爆)
 というわけで、「下手の考え休むに似たり」の、私の考察だったのであった。(思考力のなさを反省。)
 あああ、もーっと色の濃ーーーーーい、ディープローズクオーツが欲しいぞ!!!!!(願望。)赤に近い色だと、すっごく嬉しい!!!!!!!!!(欲望。)
 …結局、私のスタンスは、このへんに落ち着くと思うのだが。(たぶん。)