スピリチュアル考

 今日は仕事も普通(でもないか。)、石とのふれあいもあまりなく(ディープローズクオーツを手にとって眺め、プログラミングスモーキーにいつもの願掛けをしただけ。)、あまり書くこともないのだが、ぽつぽつと綴ってみたいと思う。だから今日はいつにも増しておもしろくないかもしれなくってよ。(爆。)おーっほっほっほっほっほっほっほっほ〈爆)。
 石を愛で、手に入れるようになってから、スピリチュアルな世界への興味もいや増したのだが、もちろん100%信じているわけではなく、概ねは半信半疑。「そういうことがあったらいいな〜。」と思う程度である。しかし昨今、『呪いの研究』(中村雅彦著、トランスビュー)を読んで、人の想念のすごさには感じ入っているところだ。
 この本に書いてあるごとく、人の想念があちこちに影響を及ぼすとすると、私も「わーい、気の壁が厚くて良かった♪♪♪(あるいは、残念【ガックリ】)」などと、無邪気に喜んだりガッカリしたりはしていられなくなる。もっと真剣に、「ガード」ということを考えるほうがいいのかもしれない。
 愛読しているHP「ガイア・アセンション」の管理者である小松英星氏は、「ネットサーフィンなどしないで、日々の生活を丁寧に送りなさい」というようなことを書いておられるが、私もそうしたほうがいいかも。なにせ今、石のページをはじめ、いろいろなページを見るのに大変時間を費やしてしまい、「ネット情報ジプシー」みたいになっているからだ(爆)。
 スピリチュアル世界は大変楽しく、興味も尽きないが、「迷走」しないよう、自分の手綱をひきしめなければ(決意)。そして、石とのふれあいをシンプルに、かつ幸せに楽しめたら、それが一番いいように思う。
 「自分だけが自分のあるじ そのほかにあるじとて何あろう 自分をととのえ治めていくとき そこに得がたいあるじを見いだす」(聖句法句経より)
 自分の感性と判断は、大事にしたい。