感じない私

 近頃、「ローズクオーツ・アンダラ」というものが出てきたと聞いて、ローズクオーツもアンダラクリスタルも大好きな私は、数日間というもの一人興奮していた。
 何でも、組成はローズクオーツに近いのだが、アンダラの共生鉱物「ユニコーンの角」という白い粉と一緒に産出するため、アンダラの高いエネルギーを持つ石なのだそうである。見る人が見れば、高いエネルギーが感じられるらしいのだが、鈍感の極みのこの私には、やはりフツーの「ローズクオーツ」に見えてしまう(涙)。
 サチャロカ・アゼツライトにしてもそうだ。この石は大変エネルギーが強く、荒く、頭痛がするほどだということなのだが、この私には「光輝が強い水晶」ということ以外は、あまり感じられない。強い光と、手に持ったときの「あああ、サチャロカ・アゼツを握っているなあ〜。」感はわかるのだが、あとはからっきしだ。何晩握って寝ても、はっきり言って、へっちゃらさ〈爆)。
 いつも書くけど、これはつまらんことである。石好きの私としては、やはり石のエネルギーを実感として感じたい。
 しかし、「気に鈍感」というのは私の特性だ。これはこれでよしとして、「石のエネルギーを感じる」ことはあきらめたほうがいいのであろうか。(いいかもしれませんなあ。)
 そんなことを考えつつ、今日は帰宅する車の中で、「イエロー・アンダラクリスタル」を取り出し、眺めた。
 いかにもガラスっぽい色むら、気泡、そしていかにも魅力的なたたずまい。うーーーーむ、やっぱり、イエロー・アンダラって、すばらしいのではあるまいか。
 近頃、「石には確かに気やパワーがあるが、それを感じ取れる人と感じ取れない人がいて、私は間違いなく後者」だという気がしている。
 「顕微鏡、望遠鏡でものごとを捉える人」と、「近視かつ遠視な私」との違い、という感じ。私とて石のパワーを感じるときはあるのだが、それはきわめて主観的かつ一過性のもので、有意の測定は不可能なのであった〈残念)。