「気」って怖いかも

 今日も今日とて(ちょっとだけ)『呪いの研究』を読んだ私。この本を読むのは2回目で、しかも毎日2ページぐらいしか読まないという、超「亀の呪い」の歩みだが、それでも最初読んだ時よりは内容が理解できている(ような気がする)。
 で、今日はまた、CEDARさんのHPの過去ログに紹介されていた2チャンネルのスレッドを見たのだが、それにもだいたい同じ事が書いてあった(と、私は解釈している)。
 曰く、「気」の世界に興味本位で足を踏み入れると、引き返せない。自然がいちばんいい。本当によい「気」は、松林のように、最初は何も感じられないが、気がついたらすがすがしくなっている、というような、穏やかなものだ。(以上、2ちゃんねるの「レイキ」スレッドより、趣旨を引用。)
 これらを読んで、私はにわかに不安になった。小心者だからである。
 私は石好きで、石のパワーを感じたいと願ってきた(今でも願っている)。鈍感なので、パワフルな石が好き。なぜなら、鈍感な私でも、パワーを感じることができるからだ。
 しかし、よい「気」が「松林」テイストであるとすると、私が好む心臓バクバクになるような石の「気」は、何かが憑いているためのパワーなのかもしれない、ということになる。石には念がこもりやすいと言うし(私にはわからないが)、その「念」、知らず知らずのうちに私も込めているかもしれないし、うーむ、怖いぞ、「気」の世界!!!!!(恐怖。)
 今のところ、この問題には結論が出せない。本当のところ何がどうなっているのかが、全然わからないからである(爆)。ただ一つ言えることは、何もかもが「愛」と「光」で丸く収まるなんてことは、人間社会においてはかなり無理があるのではないかということだ。
 『呪いの研究』にもあったように、自分の負の部分、陰の部分も認めて、それを上手に解消するということが建設的なのであろう。頭で考えない、というのも、危険なことかもしれない。やはり理性は大事ということか。
 あああああ、要するによくわからないのだが、「見返りやパワーを求めず、ゆっくり進む」ということは大事かな??????
 でも私ったら、石には限りなくパワーを求めているのだが(爆)。でもそれって、何のためであろうか?????優れた自分になるため?????幸福を引き寄せるため?????悟りを開くため?????よりよい人格になるため?????自分を磨くため〜?????????????????????
 …以上の全部が目的ではあろうが、石を買うだけでこれらのことが実現する、というのも、やはり大変虫のいい話で(爆)。
 あああああああああ、それでもやっぱり私は、石が好き〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(爆)