100万倍狂想曲

 この間の「想念100万倍」について、あちこちのサイトやブログで語られている。小松英星氏の「ガイア・アセンション」によると、アメリカの中間選挙前のマインドコントロールだという。
 ああ、あり得るなああ(しみじみ)。
 だが、この「100万倍」騒ぎを切り捨てている(と私には思われる)他の記事を見ると、少しひっかかるというか、違和感を感じてしまう。「100万倍」を信じているからではない。「判断せずにすべてを受け入れて愛しましょう」という、精神世界の大前提、日ごろの主張と矛盾しているように思うからである。
 パラトラバ雅氏が言うように、「光と愛」「現在の状況はすべて自分の過去の行動が招いた」などというニューエイジ的発想は、「無批判」であるところが大変危ういと思う。要するに、思考停止状態だ。いくらマインドがどうのこうのということがあったって、やっぱ思考停止はまずいでしょう(しみじみ)。
 「憎むな」「愚痴るな」などと言われても、憎んだり愚痴ったりするのこそが人間というものではないだろうか。だいたい、そんなに安定していたら、たぶん石なんか買わないであろう。
 私は、人から「ああしなさい」「こうしなさい」と言われると、納得できないことに関しては「ケッ。」と思ってしまう。そして、「愛と光」を持って任じる人にも、「ああしなさい」「こうしなさい」という人が、結構、多い…(辟易)。
 何のかんの言っても、現実を変えていくために争わなければならないときもあるし、声を上げるべきときだってあると思う。それから私は、「仲良しグループ」が他の人を排除するのが嫌いだ。
 まあ、自分が「狭量」なだけかもしれないが。(自爆)