スピリチュアル文豪②

 今日はやたらと太陽が美しく輝き、「ああ、お天道様って、なんて有難いんでしょう!!!!!」などと思わず思い、ガラにもなく太陽を(心で)拝んだ、不肖・ロズ子○○才。
 その太陽に透明ロードナイトをかざせば、考えられないほど真っ赤に透き通って輝き、私は「ぎゃー!!!!!!!!!もんのすごく、赤いーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」などと、心の中で大騒ぎしたのであった。
 ああ。この石は、まさに美とパッションを内包している。(とか言って。)
 そんなふうに通勤し、今日は概ね調子がよかったのだが、残念なことに退社時刻を過ぎてから問題が勃発した。同僚(注:相手は自分のことを私の「上司」だと思っているようだが、私は彼を「後輩」だと思っている【爆】。)が私に向かって、「ロズ子の仕事の進め方は周囲には全く伝わらず、わけがわからないから、私が年内にマニュアルをつくる!!!!!!!!!」と、高らかに宣言したのである。(超不愉快。)
 おっさんよ。私は充分に説明しているし、お前もこの仕事の一員で、進め方は昨年から知っているだろう!!!!!!!!!(怒)。百歩譲って「今までのことは脳みそに留めていなかった」としてだ、とりあえずわからないことは「わからないから教えろ」と言えーーーーーーーーー!!!!!!!!(むかむか。)
 ムカムカしながら車を運転し、帰宅して数時間が経過した現在もまだなおイライラしているのだが、そんな私の心の友は、石ではなく(なぜなら、荒れた気持ちの時に触ると、石に気の毒なような気がするから。)、昨日ちょっと書きかけた岩波ジュニア(!)新書の、『ドストエフスキーのおもしろさ』なのであった(爆)。
 ドストエフスキー。私はこの作家の作品を、ただの1編も読んだことがない(自爆)。高校までは、その陰鬱重厚な名前を聞いただけで敬遠していたし、どうしてか『カラマーゾフの兄弟』と『チボー家の人々』(デュ=ガール?????????)を、混同していたりした。
 大学に入ると、尊敬するセンセイ方がみーーーーーんな「学生時代はドストエフスキーに心酔していた」とおっしゃるので、それなら私も『罪と罰』でも読んで、大学教員の脳みそ心持ちに近づこうかと思ったものの、あまりの退屈さ(注:最初の1ページも読んだことがないので、実は退屈かどうかすらも不明。)と陰鬱さ(同左。)と、登場人物の独特かつ陰気臭いかつ長い名前に閉口し、結局今の今まで読んだことがないのである。
 だがしかし、そんな私も「ドストエフスキーを読める人」に憧れを抱いている。でも自分は読めない(根性と能力がなくて。)。ずーっとそんな感じだったのだが、この前偶然『ドストエフスキーのおもしろさ』を発見し、「これなら私にも読めるかも!!!!!!!!!なんたって『ジュニア新書』だし!!!!!!!!!【注:中学生向け。】」と思い、読んでみたのである。すると…。 
 いや、驚いたのなんのって。ドストエフスキーという作家は、「孤立していて世間に交われない、鋭敏な自意識の持ち主」(!)を好んで観察し、そういう「無能な人々」が、自分の殻を破って一段高いところへいくことを夢想する様子を書いた、というのである!!!!!!!!!
 つまり、私のような人間について観察して書いてあるというのだ!!!!!!!!!!!!!ななななーーーーーんと、不肖・ロズ子○○才、誰にも見抜かれていないつもりであったのに、とっくの昔にドストエフスキー様により観察・分類・表現されてしまっていたなんて!!!!!!!!!(うるうる。)
 ああ。私は、石を持つことによって、今の自分よりも1段高いところに行こうともくろんでいる。会社では「私はこんなものじゃない。」とひたすら上を目指し(上にはつかせてくれないけど。)、同僚のおっさんとはせこいバトルを繰り広げている。
 そんなのとっくにドストエフスキーの小説に表現されていたなんて!!!!!!!!!あああああ、だから人気があるのだな、ドストエフスキーよっ!!!!!!!!!!!!!!!!!(絶叫。)
 いずれにせよ、私には「作品」そのものは読めそうにない。中学生向けの評論(←それでも途中からわけがわからなくなったが。)で充分なのであった。(がっくり。)
 あああああ、ドストエフスキーに似合いそうな石って、何かなあ?????????????
 私のイメージでは、セラフィナイト。あの深く渋い色、あの濃密な模様の入り具合。
 文豪の頭の中は、スピリチュアルかつ繊細かつとっても内観しているご様子。深緑色の石は、彼のイメージにピタリ賞!!!!!!!!!であろう。(だと思う。)