死んだらどうなる?????

momorin-2525さーーーーーん、コメント、ありがとうございました!!!!!私、今日やっと気づきまして(←すみません。)、お返事コメントを書いたので、支離滅裂な文章ではありますけど(←再び、すみません。)よかったら、読んでやってくださいね〜!!!!!!!!!(大声。)
 不肖・ロズ子○○才、今日は中島義道著『生きることも死ぬこともイヤな人のための本』という本を読んで、「人間何をしてもどうせ死んでしまうんだ。」という絶望的人生観に、ちょっと目からウロコ。という感想をもっているところである。
 私は何に対してもものすごく欲張りだが、その根底にはたぶん、「ものすごく長生きしたい!!!!!」という根源的欲求があると思う。何のために生きる、とか、そういうのは置いといて、とりあえず「ものすごく長生きしたい(できれば、未来永劫死にたくない)。」のだ。
 石のパワーにものすごく興味があるのも、この欲求と無関係ではあるまい。というか、すっごく関係があると思う。ローズクオーツに「愛と美と若さ」を期待するのも、アゼツライトやフェナカイトに「気のスムーズな循環と横溢」を期待するのも、ウラルDodo水晶に「病気を癒す、冷たく清冽なエネルギー」を期待するのも、これすべて「いかにして永遠の命(爆)を得るか」という腐心と画策のほとばしりであるに違いない(しみじみ)。
 石のサポートにより魂を磨き(注:石で魂は磨けない、と、販売者さんはおっしゃるし、私もそれはそうだと思うのだが)、自分を高め、永遠の命を得る。結局私は、こういう希望を、石に託しているというか、そういう願いがかないそうだという希望を石に見ているのではなかろうか。
 さてそこで、今日の本である。
 「そのうち必ずあとかたもなくなる自分」を、毎日実感しながら生活するというのは、とてつもなく大変であるようだ。「ようだ」などと他人事みたいに書くのは、私自身がそういう実感を隠蔽しながら生きているからである。
 このあいだ、知人が亡くなったばかりであるのに、それはもはや過去となり、「自分もそうなるかもしれない」ということは実感できない。あるいは、「実感しない」ように、巧妙に回避しているのか。
 「死」を、必ず自分にもいつか訪れる事実として毎日直視している人は、そりゃあ何をしても虚しいだろうな(想像)。
 光り輝く石を見ていると、たやすく連想できる「光の世界」。
 そういうものがあるという希望を持っている私と、「死んだら無になる」と思って日々に絶望している人たち。
 客観的に見れば、「死んだら無になる」のほうが断然事実っぽいのであろうが。
 もうちょっとこの本を、読んでみようっと!!!!!