エイプリル・フールの石

 今日は4月1日。日曜日なのに「1日だから。」ということで辞令交付をやらかしている大迷惑なところもあるようで、こんな日に辞令を(無給で)受け取りに行く方には、もおう「お気の毒です…。お見舞い申しあげます。」としか言いようのない、不肖・ロズ子○○才。
 なんと言うか、「こうあるべき」という発想は、時として人間を不幸にするような(しみじみ)。本日もNHKで2本のTV番組を見て、その思いを深くした私である。
※なんと、ここまで書いたところで爆睡してしまった(反省。)ので、続きはまた今夜(自爆)。

 そして続きです(反省。)。
 もおう、昨日(4月1日)の日記を今読み返してみるに、脳みそが寝ていたため、いつもよりさらにわかりにくい文章になっているが、つまりこういうことである。
①「4月1日だから」と言って、頑なに辞令を交付するのは、あまりにも融通のきかない考え方→
②「こうあるべき」という生き方は、自分も他人をも縛る→
NHKスペシャルで、中国の所得格差がものすごく広がっているというのを見たが、「大金持ち」が本当の幸せではないような気がしたのと同時に、貧困から抜け出そうと一家を挙げて子女を勉強させ、その学費を捻出するために幼子を抱えた息子の嫁までも出稼ぎに出させるという構造に悲しさを感じた。「勉強→優秀→金持ち→幸せ」という図式から抜け出し、皆がもっと幸せに暮らすことはできないものだろうか。そういう社会構造にすることは不可能なのか。→
④同じくNHKで、玉音放送のあとに特攻隊として出発し、アメリカ軍に爆弾を落とした上で玉砕した軍人(複数)のことを放送していたが、なんだかなあ、その時はそういう「感情」だったんだろうけど、もう少しなんとかならんかなあ、その硬直した考え。
 と思ったということである。
 「鼓腹撃壌」というコトバがあるが、社会はすべからくこうありたいね(理想)。エイプリル・フールなどというのは、この「鼓腹撃壌」的精神の表れであると思うのだが、さて、そんな「4月馬鹿」にふさわしい石はないものか。
 思えば、石はみんな見た感じ生真面目で(←注:私見。)、硬い(←あたりまえ。)。4月1日はそんなことを思いながら、サチャロカ・クオーツと風呂に入ったのだが、ううむ、この石もなんか真面目な外見だぞ。
 真面目なのもいいのだが、石にも「植木等」とか「高田純次」みたいなのがいないものであろうか(さあ。)。
 そんなのがいたら、会社でのあんなこともこんなことも、ばかばかしくなって、まことによろしいであろうな(妄想。)。