顔から入ろう

 昨日は爆睡して日記を落とした上に、今日は会社で社長に冷たくあしらわれ、今そこはかとなくしかしとてつもなく気分が悪い、不肖・ロズ子○○才(キリキリ)。
 社長は確かに忙しかったかもしれない。私が瑣末な事柄を報告したので、「相手なんかしてられない」と思ったかもしれない。ただ、もともと私を気に入らないので、邪険に扱ったかもしれない。ああ、どれも不確かで、しかし可能性としてはどれもあり得る推測(悶々)。
 私は思った。「これは絶好の修行の機会である。」と。(自爆)
 何が絶好かって、自分の気持ちをフラットに保つのに絶好の機会というわけである。今日私がこんなアホなことを考えているのは、たまたま講談社ブルーバックスの、『臨死体験』というようなタイトルの本を読んだからである。
 この本は、「ブルーバックス」であるから、概ね臨死体験について科学的に検証しようとするもの(たぶん文献研究。)であったが、最後になぜか天竜寺の老師との対談が載っていた。老師いわく、「悟りの状態とは、何ものにもとらわれなくなること。」であり、ということは、不肖・ロズ子○○才にとっても、「社長の一挙手一投足にとらわれない」というのが悟りの境地かつ有用であるように思われた(大大大自爆)。
 もひとつ言えば、「石にとらわれない」ということも悟りの境地であろうが、そんなこと私は志向していないので、そっちはパスである(自爆)。とにかく、社長にとらわれなければ(つまり、会社での出世とか【←できないけど。】保身とか【←どうすれば身を保つことができるのか、想像を絶するが。】に執着しなければ)、私の人生、たぶんかなり明るく清澄になるだろう(推測)。
 というわけで、社長の振る舞いに執着することを解き放つべく努めた。しかし、あの出来事からもはや数時間が経過しているが、ぜ、ぜんぜん解き放てねえ…(←思い切り凡夫。)。
 「悟り」の前段階には、並々ならぬ集中による「魔境」があるそうであるが、その「魔境」も体験したことないしな(しみじみ)。
 「目の前に仏が現われる」とか、「まばゆいばかりの光が差してくる」とか。うーーーーーーむ、石持って瞑想していても訪れそうな境地だが、そもそも瞑想自体をほとんどしないしなーーーーー(←怠惰すぎ。)。
 「悟り」の前に「魔境」が現われると、そこにとどまってしまう人も多いのだそうである。わかるなあ、それ。だって、全能感を感じさせまくるだろうし、何よりも気分いいだろうし(想像)。
 ああ!!!!!!!!!何を考えているのだ、私よ!!!!!!!!!そうじゃなくて、解き放とう、自分を、社長の一挙手一投足から!!!!!!!!!(←おバカ。)
 しかし、いくら言い聞かせても、私の脳と心はくよくよすることをやめない(執着)。気分悪いので、眉間に皺もよっている!!!!!!!!!(←何よりイヤ。)
 そうだまず、このシワを指で伸ばして、本来の私であるところの天下泰平アホボケ顔にもどそう(画策)。眉間の皺ものびれば、気持ちも伸びて悟りの境地に(←ならない、ならない)。
 やってみてもすぐにシワがよってしまうが、眉間をのびのびと伸ばしている間は、社長の呪縛(←といったって、私が勝手に呪縛されているのだが)も捨て去り、至福的悟りの境地への第1歩を踏み出せるであろう。
 というわけで、まずは顔から入って、脳と心を連動させようという算段なのだが、「悟り」をサポートしてくれる石って、果たしてあるかな(←ありそうな気がするなあ)。