希少性と石

 「今日はたまった(いや、実際は、ためた)仕事を片付けよう!!!」と、(激弱い)決意で会社に行った、不肖・ロズ子○○才。
 しかし、会社に着いたら、新たなる仕事がどーーーーーーんと机の上に出現しており、今日は結局それに費やされて終わった(←注:単純作業。)。
 あああああ!!!!!私は、私は、実はこの単純作業に、逃げたのだっ!!!!!!!!!(告白。)
 …ためてる仕事は、頭をつかわなきゃいけなかったり、資料を調べなきゃならなかったりするものばかり(爆)。いやなんだ、そういう面倒なの!!!!!(←おいおい。)
 好きだーーーーー!!!!!!!!!単純作業〜〜〜〜〜っ!!!!!!!!!(←おーーーーーーーーーーいーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!!)
 というわけで、明日もさらに崖っぷちの状態で仕事に臨まなければならないのだが、そんな崖っぷちの今日、私は「希少性と石」ということについて考えた。
 きっかけは、アゼツライトである。この石は「20キロしか採掘されなかった」という触れ込みで「希少」ということになっているのだが、その後ざくざくと出ている(自爆)ことは、皆様もご存知のとおり(しみじみ)。
 この、「希少でもなんでもない石英」を、「希少でパワーあふれる石」とうたい、その結果バカ高い小売価格で流通しているということなのだが、私はここで、「希少」にフォーカスしたわけである。
 ものの価値は、需要と供給で決まる。これは、資本主義社会のならいである。
 知りあいに、「自分の庭に咲いている花が、他の家で咲いてると腹立つ。」という人がいるが、私には今までその人の気が知れなかった。しかし、「レア石」と聞くと多かれ少なかれ色めき立ってしまう自分のことを考えると、対象が「石」か「花」かという違いのみであるように思える。(←いや別に、他の人が「レア石」を持っていても全然いいのだが。)
 美しい石でも、沢山あれば供給過多で安価になり、希少ならば高騰する。それに素晴らしいパワーがあればなおのこと。←この構造を、ちょっと不思議に思ったのである。
 例えば、ダイヤモンドでも、沢山あれば価値が下がるのか?????????
 「希少なものを持っている」ということが、自尊心なり選民意識なりを強化する、そういうことなのであろうか。
 うーーーーーーーむ。難しくて、よくわからんわい(←放擲。)。
 ものの値段は、人間の価値観で決まる。では、人間の価値観とは?????星はたくさんあるから、希少じゃない?????????
 こうして私の思索は、「下手の考え休むに似たり」以下の、ものすごくしょうもないスパイラルを描いて、どこまでも下降していくのであった。
 ああ。希少だとなぜ素晴らしいのか。
 わかったような、わからないような(しみじみ)。