波動の高い人

 昨日は例によって布団に倒れて爆睡してしまった、不肖・ロズ子○○才。
 咳は相変わらずである上に、一昨日から朝方は胸周りが痛い(自爆)。まさか、乳ガンではありませんよね(ないない)。
 今朝も会社の朝礼で一人涙を流して咳き込んでいた(←迷惑な私。)のだが、そんな今日は新月であった。真昼間の新月ということで、昼休み中に素早く願い事を書いた私である。
 ところがその後。なんと、顧客から思い切り拒否される事態が巻き起こり、今軽く落ち込んでいるところなのであった。
 私もくやしかったので、なんとか相手をやっつけたかった(←野蛮願望。)が、パワーゲームはどうせ収拾がつかなくなるに決まっている。「相手を支配したい、コントロールしたい」願望は山々なれど、ここでそれは得策ではないでしょう。とささやく私の左脳。
 かといって、よい対処法が思い浮かぶわけでもなく、結局そのまま放置することと相成った(←それはそれでよくないんだよな。)。もうちょっと私に能力があるといいのだが(しみじみ)。
 近頃私は、「波動の高い人」について考えることが多い。波動が「高い」だの「低い」だのというのは、ちょっと問題ある表現のような気もするのだが、他に適当な形容も思いつかないし、今日はこれで表現する。
 私は、さまざまなトラブルにあったり、いろいろな人から軽く見られたり馬鹿にされたりということが多い。これはまさに、私の波動が「低い」ためにこうなっているような気がする(推測)。なぜなら、私が知っている人で、容姿端麗(←美醜ということではなくて、雰囲気。)、頭脳明晰、人格高潔という人が何人かあるが、そういう人はNever ever トラブルに巻き込まれたり人から軽く扱われたりしないからである。
 それは「人物が素晴らしい」から、「付け入る隙が全然ない」ばかりか、「その人を見ると、幸せで敬虔な気持ちにさせられる」からだと思うのだが、やはりそういうのを「波動が高い」というのであろうか。(言うだろうなあ〜【しみじみ】。)
 例えば、有名人で「波動が高そう」と私に見える方々は、千住真理子ご一家である。ストラディバリウス「デュランティ」も、きっと真理子の波動に引き寄せられたに違いない(妄想)。
 私は、日々「波動の高い人」になりたいと思って、波動の高そうな「石」にあこがれるのだが。私のことも引っ張りあげてくれるのではないかと思って。
 ものごとはそうたやすくはいかないであろうから、石を持っていたからといって、波動の高い人になれるとは限らない(←無念ながら、私が証明しています【がっくり。】。)
 だが、美しい石を手元に置き、「かくありたい」と願う、あこがれる、志向する、その気持ちは大事なのではないだろうか(今日も石を握って寝ようっと。)。