ニルヴァーナ・クオーツ

 昨日は本当に体調良好で、「いつまででも残業できるぞ!!!!!」などと、ちょっとハイになっていた(←身のほど知らず。)、不肖・ロズ子○○才。
 やはりそういう「さわやかな体調」は長くは続かないもので、今日は17時半をまわったころには、すっかり「電池切れ」になった。やったほうがいい仕事は山積だが、身体が「ううう、もう一歩も動けないよう…。一刻もはやく帰ろうよう!!!!!!!!!」と、強く強く訴えるのである(自爆)。
 それでもしばらくは、「もうちょっとやらなければ…。明日は新たな仕事の山がくるし。」と思って頑張った(←うそうそ。)が、すぐさま頭が「この仕事はどうしても今日やらなくっちゃならねえってか。明日できてなかったら、本当に困るのか。」とクダを巻きはじめた。
 「明日できてなくても、べつに困らないや!!!!!!!身体を大切にして、長持ちさせるほうが大事だ!!!!!作業効率も考えるべきだ!!!!!!!!!」と、頭の声に全面的に賛同した私は、仕事山をおっぽり出し、後ろも振り返らずスタコラと退社したのである。
 みなさーーーーーーん!!!!!!!!!やっぱり身体は、大事ですよね〜〜〜〜〜っ!!!!!!!!!(←「みなさん」とは誰だ!!!!!!!!!)
 さて、そんな今日、私は、クル渓谷産蝕像水晶を握りつつ、窓の外の青葉をじーーーーっと眺めていた。
 木々の青葉からは、文字通りさわやかな「気」が立ち昇ってくるかのようである。蝕像水晶の手触りも素晴らしい。トライゴーニックが多いことも魅力的である(←今日握ったのは、トライゴン付きではない)。
 ところでこのクル渓谷産水晶、近頃ではロバート・シモンズ氏の会社が、「ニルヴァーナ・クオーツ」として、販売しているようである。
 ううむ。シモンズ氏の会社は、私が愛するアゼツライトの販売元であるが、近頃量産している(と私には見える)「TMにしかけの石たち」を見ていると、「大丈夫かなあ。」と心配もしてしまう私である。「売らんかな」だとは思いたくないが、もしかしてその可能性もあるような気も。
 アグニゴールドダンビュライトだの、ゴールデンオーラアゼツライトだの、ニルヴァーナ・クオーツだのって。やりすぎじゃねえのか(←問いかけ。)。
 ともあれ、「ニルヴァーナ」という命名を聞くと、(演奏を聞いたことはないが)そういう名前のロックバンドを思い出す私なのであった。なぜなら、愛読する奥田英朗の本『イン・ザ・プール』のカバー写真が、(たしか)ニルヴァーナのアルバムジャケットをもじったものであるからである。
 ああ。私も、青い水のなかで、自由に呑気に泳ぎたいぞ!!!!!!!!!と、あらぬ妄想に頭がシフトしていくのは、今夜がとっても蒸しているからなのであった。
 「ニルヴァーナ」というバンドには、何やら悲劇的なこともあったようだが(←よく知らないけど。)、感性が鋭すぎたり、「霊性」が研ぎ澄まされたりすると、そういう究極なこともあるのではないか。「ニルヴァーナ」という名前自体が、なんとなくそれを暗示しているようじゃーーーーーん。と思う、私なのであった。
 ニルヴァーナ・クオーツ。霊性を追うということ、研ぎ澄まされるということ、清澄であるということが行き着くところはやはり、美しくも厳しい「ニルヴァーナ」であるのかもしれないと、ちょっと思ったのであった。(しみじみ。)