光の柱

 13日の金曜日(爆)夜も、すっかり爆睡してしまい、またしても翌14日に日記を書いてる、不肖・ロズ子○○才。私はキリスト教徒ではないが(←キリスト教は好きだが)、13日の金曜日は吉凶混合で、「凶」の部分はきわめて「凶」の、大波乱日であった(自爆)。
 まず第一にヤバかったのが、今度新しく入ることになっている仕事について「やる意味ががわからん(←本音です。)。」などと愚痴っていたところを、わが社役員の「間諜(爆)」と噂される人物にもろ聞かれてしまったことである(大自爆)。
 間諜氏の姿を目の端に捉えた私は、「動悸」「発汗」「頭真っ白」の3点セットに襲われたが、同時に私は思った。「うっ。これは、宇宙からの警告であるな。」と。
 だいたい私は調子に乗っているときに失敗することが多い。13日はどう考えても、気が緩んでいたし、根拠のない自信から浮ついていい気になっていた。こういうときがものすごくあぶないのである。過去の多々の経験からも、そのことはわかっているのだが。
 ああ。高揚感や油断からうまれる、大きな大きな心の隙間。やはり、「細心かつ大胆」とか、「どこまでも謙虚」までの道は、果てしなく遠い(←でも、それを目指して、「大牛歩」するのであった。)。
 第二にヤバかったのは、会議で我を通したことだが、これは同僚の不興を買ったと思うが、実際主張したこと事態が悪かったかどうかはわからない。これの賛否は見方によるであろうから、忘れちゃおう(自爆)。
 大残業して家に帰れば、私を迎える石の数々。これまで、「私だけのオンリーワン石」を求めていたが、近頃ラベンダーローズとかアイスクリスタルとかメテオラ・クオーツとか、様々な石を布団に転がし、握りつつ思うのは、「たくさんの、さまざまな性質の石を持って、その多様なエネルギーの中で過ごすのもいいのではないか。」ということである。
 石は、いろいろな外見、性質、色、光を持っている。そういうものをすべて包含した1個の石を持つ、というのは大変理想だが、たくさんの個性を持つ石が立てる、さまざまな光の柱で家を満たすのもいいのではないだろうか。
 もちろん、「今の私の趣味」というものがあるので、多様な中にも一定の方向性や共通点は出てくる。今の私の場合、「透明感」「光沢」「一定以上の硬度」「美しい色」「光」が、そのキーワードである。
 家で虹色の光があちこち立っている様子を想像するだけでも楽しいや(爆)。
 そのあと私がどこへ向かうのか(あるいは向かわないのか)、そんなことはわからないので、考えても仕方がないのであった。(自爆)