石の魅力とは

 振り返れば、今日もおおむね「オカヤドカリの日」だった、不肖・ロズ子○○才。朝、水槽を覗くと、もう1匹のほうも宿替えをしていた(←見たかった、その瞬間!!!!!!)
 「夏休み気分」(←盆休みしかないが。)のせいだと思うが、オカヤドカリが好ましくて好ましくてしょうがない(←大げさ。)。今日は再びホームセンターへ出向き、30cm以上のでかい飼育ケースと、珊瑚砂と、宿替え用貝殻を購入してきた。
 これで今までの狭苦しい水槽よりは快適であろう。と思うが、ヤドカリさんたちは突然の環境変化に驚いてか、隠れ家から出てこない(爆)。…ま、当分は様子見である(しみじみ)。
 それ以外はだらだらと過ごし、だいたいは石を夢想していた。うう、掃除で1日建設的に過ごされたマイミクさんがうらやましいぞ!!!!!!!!!(←自分も勤勉になりましょう【推奨】。)でも、暑いしだるいし、なかなか意志力も行動力も発揮されない私である(←1年中だろう!!!!!!!)。
 さて、石ページをネットサーフィンしていて感じるのだが、近頃「鉱物」としての石と、「不思議なツール」としての石とが、はっきりと分かれてきたように思う(←とかいって、前から分かれていたのかも。)。
 鉱物としての魅力を求める人は、あくまでも「鉱物としての美しさ」追求へ。石に他の意味を付与する人は、もっとそちらの方向へ。
 私は後者なので、「オカルト」といわれても(まさに「隠されたもの」だと思うし。)、結局そちらにつき進む。美しいものは世の中にごまんとあるけれど、そのなかで「石」にフォーカスするのは、石にこそ「不思議な力」があると思うからだし、それがなければ私にとって、石の魅力は半減よりももっと減る。
 うまく表現できないが、「隠された部分」があると思うからこそ、私の目には石が魅力的に映る。その中に何億年もの歴史を内包しているということ以上の、神秘的な何か(しみじみ)。
 今まで、地方住まいで不当に高い石を買っているのではないかと気を揉んでいたが、高いか安いかだなんて。けっ。(と、今は思っている。)