親類の死に思う

 今日から2月(←早い。)。不肖・ロズ子○○才の2月最初の日は、いろいろと思い通りにならぬ、絶えずイライラする1日であった。
 何が思い通りにならないって、ズバリ同僚である。他人なので、思い通りにならないのはあたりまえなのだが、それでも思い通りに行動させたい私なのである(←不毛願望。)。
 集約すれば「私を大事にしてほしい!!!!!」という悲痛なる願望なのだが、私が他人のことについて鈍感である程度には同僚も私のことに鈍感であるので、結果として思い通りにならないことが多いのであった。
 キーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!!!!!!!!(←イライラ。) 
 イライラしながら書店に行き、パラマハンサ・ヨガナンダの『永遠の探求』を購入した。
 激高い(←なにせ厚い)本であったが、ぱらぱらめくってみたところ、私が読みたいツボが満載である。「輪廻転生はある」とか、「人間はダイヤモンドを求めつつ、きらきら光るガラスを拾っている(←ここでアンダラクリスタルを想像する私。)」とか。
 最初から順を追って読むと飽きるにきまっている(←根気なし。)ので、パッと開いて目に付くところから読むことにしよう。
 ところで、私はヨガに興味がある(この本にはヨガについても出ている)のだが、どうも気になるのは、著名なヨギがどうも今ひとつ長生きしてなさそうなことなのであった。
 パラマハンサ・ヨガナンダもそうそう長生きとは言えまい(しみじみ)。私は「長く元気に生きる」ことに価値を置くので、著名なリーダーでも長生きしてないと「なんだかなあ。」と思うのであった。
 そんなことを思いながら帰宅してみたら、親類が1人亡くなっていた。
 入院はしていたが、まさかこんなに早く死ぬとは思ってもいなかった。急変したのだそうである。
 ちょっと衝撃を受けるとともに、「…虫の知らせもなかったな…。石をいっぱい持って、『ちょっと勘がよくなったかも。』と思ってたけど、結局親類の死も感じ取れないんだ(←勘がいいどころの騒ぎじゃないぜ。)。」と思った。
 スピリチュアルの世界はまことに遠い。それから。
 親類の死を思い、星空を見上げながら、「…人の死はやっぱり、きれいごとじゃない(←あたりまえ。)。『生きている』というただそれだけで、周囲の人をも幸せにしているものなんだ。」としみじみ思ったことであった。(しみじみ。)