消費ということ

 昨夜は、『貧困大国アメリカ』を読みながらやっぱり寝てしまったのだが、眠りに落ちる前に私にとっては衝撃的な文を読んだので、ここに抜粋掲載(←おいおい。)。
 「経済重視型の民主主義は大量生産大量廃棄を行うことによって、確かに加藤さんのいう日常生活の便利さをもたらした。能力主義で目に見える利益に価値を置くこのやり方を使うならば、戦争はもっとも効率のよいビジネスになるだろう。」(堤未果著『ルポ 貧困大国アメリカ』2008年、p186,line4〜6)
 「戦争をしているのは政府だとか、単に戦争VS平和という国家単位の対立軸ではもはや人々を動かせないことに、運動家たちは気づかなければいけません。私たち帰還兵も、民営化された戦争を支える戦争請負会社やグローバル派遣会社の実態を知らせるだけでは弱いのです。
 何よりそれら大企業を支えているのが、実は今まで自分たちが何の疑問も持たずに続けてきた消費至上ライフスタイルだったという認識と自己責任を、まず声を上げる側がしっかりと持つことで、初めて説得力が出てくるのです。」(前掲書、p195-196,line14〜5)
 反省しきり(自爆)。そして怖さも感じた。現在の社会はまさに、能力主義成果主義に雪崩を打っているように見えるが、これってまさに、国と大企業の思う壺なのね(そうはさせねえぞ!!!!!!!!!)。
 この日記でも、「石と資本主義」について何回か書いてきたが、要するに「搾取が問題」ということと、「資本主義の世の中で、石だって利益を上げるために売られていて当然」というのが私の考えであった。しかし、しかしである。
 ビリー牧師に「私は消費者が持つ民主的な力を信じています」(前掲書、p192,line15)といわれてはなああああ!!!!!!!!!(大反省。)
 私は今まで、石をたくさん買ってきたし、これからもたくさん買うであろう(爆)。それは止まらないであろうが、そ、それでも。
 ちょっと考えようっと(もちろん、他の買い物についても。)。
 資源保全や地球環境保護のために叫ばれている「循環型社会」というのは、実は金持ちと大企業にとっては、大変ありがたくないことなんだなあ(しみじみ。そのせいで、やる気【爆】。)。