お祈り考

 数えたくもないが、週末までの締め切り仕事が5つある、不肖・ロズ子○○才(←金は貯まらないが仕事は溜める私。)。
 今日はどうしても2つ片付けないといけなかったのだが、私にとっては面倒な時間を食う仕事で、結局1つも片付かなかった(号泣)。片付かなかったばかりか、3時半ごろにはハレーションを起こし、「きいいいいいい〜〜〜〜〜!!!!!!!!!もうこれ以上、ぜーーーーーったいに、パソコンに向かって考えることなんてできないーーーーーーーーっ!!!!!!!!」と敵前仕事前逃亡した私である。
 それ以降はもう放置。私には明日があるさ。(←できるのか、今日できなかったことが、明日には?????????【大疑問。】)
 さて、そんな今日は昼食時に岩波新書昭和天皇』の続きを読んだ。
 この本は『貧困大国アメリカ』ほどには調子よく読めない。私にとっては難しいのである(自爆)。
 難しいところは飛ばして拾い読み(←おいおい。)だが、今日もわかったことはある。一つには、現在の宮中祭祀は、明治からのものに過ぎないということ。もう一つは、現在の天皇家は「北朝方」で、正統の理由付けを「三種の神器」に頼っているらしいということである。
 うーーーーーーーーーむ。(きっとだぶんものものしい)秘密の宮中祭祀の、その伝統は、明治から始まったんですかーーーーーーーーーー。(←脱力。)
 大戦中はめちゃ神様に祈ったらしいのだが、アメリカの神様の方が強かったということなのであろうか(←おいおいおいおい。)。
 こういうことになると、「意識が現実を作る」とか「すごく効く神様」とか、そういうものが一挙に力なく見えてくる。やはり世の中の現実をよく見つめ、適切に行動・対処することが一番まっとうなのではないか。
 ということで「パワーストーン」も「力ないかなあ(なにせ天皇のお祈りもかなわないときはかなわないわけだしな。)」と考える私の脳みそ。波動はもちろんあるだろうし、象徴(爆)としても人間のあらまほしい姿を表現していると思うし、いろいろ力にはなってくれると思うのだが、ただ。
 何かに影響を及ぼしたいときは。
「念力」やるよりは、その場に出かけていってフツーに行動したほうが、絶対効果あるかも(←考察。)。