頭痛の日曜日

 自分で書いて反省するのだが、「邪気な土曜日」なんて、本当に失礼であった、私(しみじみ)。デパートが邪気だらけ、なんてことはないやね(再びしみじみ)。かえってよい波動を出しているぐらいである(←印象。)。
 想像するに、昨日の「待ち」だらけのタイミングは、私自身の波動が下がっていたための結果であろう。どこかで「信号機にやたらとひっかかるときは、運気が落ちているとき」という記述を見たことがある。
 運気のいい人は、大渋滞でもなぜかスイスイ通り抜けて、あっという間に目的地についたりするのであろう(想像)。
 さて、今日であるが、不肖・ロズ子○○才は、グリーン・アンダラクリスタル(←インドネシア産。)と頭痛とともに目覚めた。
 休日の朝の布団の中から頭痛である(大自爆)。これは、ストレスによるものに相違ない。
 実は私は昨日から、ある二つの案件について悩んでいた。
 一つは純粋なる「心配」(←してもしょうがないが。)、もう一つは「決められない悩み」であった。いわゆる「葛藤」である。
 悩みがこんなに素直に「頭痛」となって現れるわけだから、ほんとに心身って一体ですね。などと考えつつ、私は「ニューカイテキZ」を飲むべきかどうかでまたも悩んだ。
 頭痛は通常「ニューカイテキZ」一発で雲散霧消していく(←私にはよく効く。)。握って眠っていたグリーン・アンダラはそこはかとなく濁っているし、きっと私の邪気を吸い取って疲れているに違いない(←またも想像。)。それでも吸い取れなかった邪気が、今私をして頭痛にさせしめているのである、きっと(←妄想。)。
 今夜はグリーンアンダラを風呂に入れねば。とそのときは思ったが、夜になったらすっかり忘れていた(大自爆)。今日も濁ったままのアンダラを握って寝るわけだが、それではアンダラがあまりにも気の毒なので、とりあえず洗面所の水で洗っておくか…(しみじみ)。
 さて、私は結局「ニューカイテキZ」を飲まなかった。午後から習い事に出かける予定だったので、「習い事に集中すれば、頭痛も感じられなくなるかも。」と思ったのである。
 果たして習い事に出かけるために車を運転しただけで私はそちらに集中してしまい、教室に着いたら頭痛なんて完全に忘れていた。ものすごくいい気分で習い事を終了し、家に帰って、今やっと、「そういえば頭痛いかも。ちょっと肩も凝り気味かも。」などと思っているところである。
 私は他のことに集中すると、頭痛を忘れるのであった(自爆)。
 最も、「軽い頭痛」に限りであって、「365歩のマーチ」みたいな、規則的大太鼓的リズムを刻み、吐き気を伴うようなやつの場合は、やっぱり「ニューカイテキZ」を飲んで、布団をかぶってうなりながら寝ることになるのであった(←年明けに1回あったな。それで「野だめカンタービレ」を見逃したんだったな【回想】。)。