100mと温暖化

 今日は100mを全力疾走(←注:自分内評価。)し、最後には足がもつれて転びそうになった、不肖・ロズ子○○才。
 年を感じる(←感じるな。)のは、まさにこういうときである。気分は以前と何ら変わらないのに、か、からだが、ついてこねえ(無念)。
 走っている最中、ポケットにはシェラネバダ産のピンクアンダラがあった。
 ポケットに入れ始めたころは、ハートがドキドキしたり頭頂が回転したりした感のあったこのピンク・アンダラであったが、ポケットに入れてからそろそろ3〜4日、もはや胸のドキドキは感じられなくなっている(←つまらん。)。それに、このアンダラをポケットに入れてからというもの、自分の(思っていたよりずっと能力のない)「真の姿」をずいぶんと感じるようになり、落ち込む機会が増えた(大自爆)。
 「能力の欠如」といったって、走るのが遅すぎる(←生まれつきだが、以前よりもさらに遅い。)とか、習い事がご同輩のなかで最もできない(←最古参なのに。)とか何についてもものを考えていないとか、こう並べてみてもどうでもよさそうなことのオンパレードであるが、落ち込むことは落ち込む。私はスーパーウーマンになりたいのであるが、理想とあまりにもかけ離れている真の姿(がっくり。でも、こんなことで落ち込むのもおかしいよな【感想。】。)。
 もしやピンク・アンダラは、私に現実をきちんと認識させる透徹した目をもたらしているのでは。と想像し、それでは落ち込んでつまらんので他の石−ローズクオーツとか−を当分握って眠ろうかと考えたが、何かそんな気にもなれないのであった(何でかな〜〜〜?????)。 
 今日も思ったが、たぶん私の石遍歴はそろそろ終わりであろう。長い長い石遍歴だった(←金もめちゃ使った【がっくり。】。)が、アンダラが究極であったか、私にとっては(しみじみ)。
 TVで「サンデーモーニング」を見て思ったが、自由主義経済の進みすぎが世界と人間にさまざまなことをもたらしたようだ。「儲けりゃいい」という考え方がいかに多くの人間を疎外していることか(←私も疎外されているぞ。)。
 やはり、これからはシンプルで無駄のない生き方を追求していくのがいいかも(←現在、あらゆる面において無駄だらけの私。)。命を最も大切にするような。と、ぼんやりと考えたのであった。
 地球は温暖化して、今朝の天気図にはもう台風(!)の進路図が示されていたし、ミャンマーは大変なことになっている。こういうことを「浄化」というのはあまりにも彼の地の人々の過酷な状況にマッチしていない、とは思うが、日本にも、私のところにも、そのようなウェーブが来るのでは(あるいはもう来ているのでは。)と想像すると、「温暖化ってやっぱり、『ノアの箱舟』状態をもたらすのかなあ。」などと考えてしまうのであった。(しみじみ。)
 こんな日記を書いてる今、私の背後では太平洋のゼロ海抜の島「ツバル」についての番組をやっている。
 これもシンクロなのかなあ。(さあ。)