自我とは何か

 今日は習い事に行ってきた、不肖・ロズ子○○才。
 習い事のご同輩は「レベルが高い(爆)人たち」ということになってるのだが、今日はどうも私の真似をしたり(←不快。)、3ヶ月も前に頼んだ先払いの品物が(もうとっくに届いているはずなのに)なかったりということがあったので、「もしかして、レベルが高いどころか、本当は激低いんじゃないでしょうかね。」と大いに疑っている私である(大自爆)。
 もちろん、そうとは限らない。私の疑心が暗鬼を生じているだけかもしれないのだが、なんだかこう、どうもなあ(うたぐりうたぐり)。
 それはおいおい探っていくとして、今日は帰宅が遅くなったので、もうぐったりである。
 こういうときは早くアンダラ風呂に入って寝るに限る。というわけで、今急いで日記を書いているのであった。
 今日はピンクアンダラを風呂に入れ、その間ブルーグリーンアンダラを塩風呂に入れる予定である。ピンクはいつも睡眠のお供であるし、ブルーグリーンは「会社へのお供(大爆発)」となっているので、どっちも疲労しているに違いないのだ(しみじみ)。
 ところで今日は、姜尚中の『悩む力』(集英社新書)のカバーを読んで驚いた。こう書いてあったのである。
 「情報ネットワークや市場経済圏の拡大にともなう猛烈な変化に対して、多くの人々がストレスを感じている。格差は広がり、自殺者も増加の一途を辿る中、自己肯定もできず、楽観的にもなれず、スピリチュアルな世界にも逃げ込めない人たちは、どう生きれば良いのだろうか?」
 逃げ込んでたか、やっぱり!!!!!(大声。)いや、でも、スピリチュアルな世界はたぶん「存在する」ので、仮想空間を想像力で作ってそこに逃げ込んでる、ということでもないんだよな、きっと(←ぐだぐだと思考。)。
 おもしろそうなので、この本は読んでみることにするのであった。
 第五章は「『信じる者』は救われるか」である。ここから読もうかね(←画策。)。
 そして、私は人付き合いが大変に苦手なのだが、姜尚中氏は「他者と相互に承認しあわない一方的な自我は存在しない。」とおっしゃるのであった。
 そうか、やっぱりね(諦念)。とにかく今日はアンダラ風呂に入って、アンダラ握ってさっさと寝ようっと!!!!!!(←こればっかり。)