美しすぎて

 今週は習い事週間(爆)。不肖・ロズ子○○才は19日も習い事に行って、すっかり筋肉痛になってへろへろで帰宅した。
 あまりの疲労と筋肉痛に、足枕をして横たわっていたら寝てしまい、また日記を落として翌日に書いているところである(大爆発)。一晩寝ても疲れはとれず、足では筋肉が「ただいま乳酸を製造しております。」とでもいっているようなだるだるであるが、それでも、きょ、今日(←20日。)も、習い事に行くのであった(←息も絶え絶え。)。
 こんなんで大丈夫でしょうかね、私!!!!!!!!!(←無理無理。)「過ぎたるは及ばざるが如し」じゃないんでしょうかねーーーーーーーーっ!!!!!!!!!(←でも、今日も行く!!!!!!!!!やっぱり!!!!!!!!!【ない根性かき集め。】)
 さて、そんな19日、私は例の「今のところなにも感じない」ブルー・アンダラ(@インドネシア)を持って習い事へ行った。
 このブルー・アンダラは、色合いがあまりにも美しく、そして手触りがちょっと樹脂みたいな感じ(爆)である。それで、「もしかしてこれはあきらかな人工では。」という連想が働き、「何も感じない!!!!!!」とパニックになるに至ったのだが…。
 もしかすると私の偏見(←「色がきれいすぎる」とか、「手触りが樹脂っぽい」などの、いわばマインドの部分。)が感性をブロックして何も感じないのかもしれない。と思ったので、ここ2日は一緒に風呂に入ったり習い事に持参したりしていた。
 考えてみれば、「きれいすぎるから偽者」というのも、変な話である(爆)。インドネシア産のアンダラはだいたい色鮮やかなものだし、こわいほど美しいからって、それを「人工」と思うのもなあ(しみじみ)。
 まず、習い事に持参すると、全体的に場のコミュニケーションが円滑にいった。実は近頃、この習い事教室の人間関係に閉塞感を感じていたのだが、少なくとも一番わかって欲しい人には、私のことを少しわかっていただけたような気がする(嬉)。
 また、風呂上りのブルー・アンダラはまさに内側から発光するような美しさで、「威厳」のようなものを感じた。アンダラに人格のようなものがあるとすれば、たぶんこのブルー・アンダラは誇り高い石なのであろう。
 それで「人工かも!!!!!あるいはデッド・エネルギーかも!!!!!」と心のなかで騒ぐ私に「ふん。なら黙っているわい。」という感じだったのかもしれない。もちろん寛大であるから、「ああ、わかればそれでいい。」ということで、これからそのパワーを開示してくれるのかもしれない(しみじみ)。
 今日もこのアンダラを習い事に連れていき、一緒に風呂に入り、その発光するお姿をながめ、メッセージをできれば聞きたい、と思うのであった。
 美しさは罪。じゃなくて、美しいと大変、なこともあるのだなあ(しみじみ)。