高次の存在考

 この夏は腕にやたらとブツブツが出て、「またか〜〜〜。」と思いながらぼりぼりと掻いたりしている、不肖・ロズ子○○才。
 「ウナ・コーワ一発」でひっこむ場合もあるのだが、昨日から出始めたブツブツはけっこう引っ込まない(爆)。腕に星座のごとく、ちょっとずつ増えていく痒いブツブツは、これはいったいデトックスのしるしなのか、それとも内臓もヤバイという警告信号なのか(しみじみ)。今まで、腕だけには湿疹などできる気配もなかったのに、この夏は腕だけ(←含む手。)にできるから大変不気味である。
 さて、そんな今日は、「高次元の存在」について考えさせられる日であった。
 きっかけは、小松英星氏のサイト「ガイア・アセンション」である。このサイトのQ&Aセクションの新しい記事に「支配」の味が忘れられない高次の存在について言及されており、私は驚いたのだ。
 高次の存在と言えば高次の存在であって、無条件に信頼していいとなんとなく思っていたが、実際はいろんな高次の存在がいるんだ〜〜〜〜〜(しみじみ)。
 そういうことになると、石やらその他やらで「気の壁」を薄くして、高次の存在と交流しやすくなる、というのも若干危険な感じがする(しみじみ)。いや、若干と言うか、実はすんごく危険だったりして(←感想。)。
 「霊能力や超能力を開発しないほうがいい」というのは、きっとこういう危険を想定してのことなのだな…(←想像。)。
 そんなことを考えながら、夕方は映画「崖の上のポニョ」を見に行った。
 「♪♪ポ〜ニョポ〜ニョポニョさかなの子♪♪♪」という、あの脱力系(←すみません。)の歌が耳について離れない、あのアニメである。宮崎駿監督は「このCGの時代に、あえて手描きにした。」と言っていたようだったし、「ポニョとはなんだ、ポニョとは。」と、そのゆるいネーミングにやや馬鹿にされたような気がしていた(←大変被害妄想。)ので、あまり期待しないで見に出かけた(←なら行くな。)のだが…。
 私にとっては、大変素晴らしいアニメであった!!!!!!!!!(感涙。)
 映画館で、他の人もたくさんいるので、なんとか泣くのをおさえた(←でも涙と鼻水は出た。)のだが、これを家で一人で見ていたら、あちこちの場面で滂沱の涙をこぼしたに違いない(←もっと思うままに泣きたかった!!!!!)。私は近頃(年のせいか【爆】)「感動の涙」もろいのだが、ああ、ポニョさまに、やられまくり…(しみじみ)。
 ポニョのママ(by天海祐希。)なんか、映画で「観音様」扱いされていたが、この人こそ高次の存在なんじゃないでしょうかね!!!!!(←これも感想。)こんな高次の存在になら、だ、騙されてもいいっ…!!!!!!!!!(←おバカ。)
 いや、もちろん騙しはしないでしょうが。それにやっぱり、個々の「自由意志」は尊重して、コントロールなど絶対にしそうもないのであった。
 映画は(私の見るところ)虹色が随所に使われており、大変美しく、光あふれる感じ。
 石とともに目指す理想の高次元世界がそこに!!!!!!!
 
などと日記に書いたら、宮崎監督は嫌がるであろうか。(←嫌がるでしょうなあ【しみじみ】。)。