ダイヤの話を聞きたい

 今日は立春。朝から大変温かい感じの太陽が照らす、いかにも「新春」らしい日だった。
 「あああああ。さすがは『一陽来復』『立春大吉』の日ねえ。」などと思いながら車を運転した、不肖・ロズ子○○才。会社ではだらだらと仕事をし、時々窓の外を眺めた。
 立春の太陽と木々の枝のコラボレーションが、ああ、う、美しい…(しみじみ。そして平和。)。
 せっかくの立春の太陽なので、会社でもこっそりと石を出して太陽に当てる。本日の石は(いつもと同じだが)、ピンク・アンダラ、ルミネッセントブルー・アンダラ、アネラ・クリスタル、ダイヤモンド原石、であった。
 4つ並べると、際立って美しいのはアネラ・クリスタルである(うっとり。)。この石が「人工」疑惑をかけられるのは、この外見からしても仕方ないかも(しみじみ)。
 そして私はダイヤモンド原石と仲良くしたいのだが、実はこの石の意志が、ほぼ全然つかめないのであった(←ダメダメ)。
 いや、他の石の意志もべつにつかめてはいない。だが、このダイヤモンドにはおそらくは意志がある。ああそれなのにそれなのに、私とダイヤ原石はまるで無視しあっているかのごとく(←注:私は無視していないが。)、木の切れ端と石のごとくに、関係が隔たっている(ように感じられる)のである。
 うううううう。どうすればこのダイヤは、私に意志を表現してくれるのだろう(←熟考。)。
 などという邪な考えで浄化したり話しかけたり握ったりするから良くないのかもしれない(しみじみ)。私のエゴがダイヤをして沈黙させしめているのであろうか(←ありうるな、それは。)。
 今日はサティアサイ・オーガニゼーションから購入した「スピリチュアル手帳」を読んだのだが、それには「白い布」のたとえが載っていた。
 白い布を使う。汚れる。洗濯に出すとまた白くなる。私達は「洗濯屋が布を白くした」と思うが、そうではない。布はもともと白かったのである。汚れが取り除かれただけだ。
 人間にも神性があり、汚れが取り除かれたらそれがはっきりと現われるという。
 だけどその、汚れを取り除くのがな〜〜〜〜〜。朝3〜4時に起きて瞑想したり、4〜5時に風呂に入ったリしつつ、自分の心身と想念を汚れないように保つというのが、とてつもなく大変そうなんだよな〜〜〜〜〜(←ぼやき。)。
 などと思っているうちは、やっぱりダメダメであろう、私の心身と想念(大爆発)。
 「うーーーーーーーむ、朝4時の瞑想は無理だけど、とりあえず風呂に入ってるとき(←注:夜。)にキャンドルをともして『光明瞑想』をやるか…(←画策。)。そのぐらいならできるかも。」と思った私だが…。
 なんと、「風呂に入った後で瞑想をしないでください」との注意書きが!!!!!!!!!(←注:風呂に入ると心身が覚醒し、あちこちに向かって働き出し、瞑想には不向きだからだそうである。)
 うーーーーーーーむむむ(しみじみしみじみ)。しょうがない。やっぱり、石を握って「うつらうつら瞑想」をする程度が最も無理ない感じかな、私(←怠惰すぎ怠惰すぎ、怠惰すぎ【しみじみ。】。)
 さ、今日もこれからダイヤにお話をしかけてみようっと!!!!!!!!!(←今日も沈黙かなーーーーーー、ダイヤモンドちゃん【←何か言ってくれると嬉しい《熱望。》】。)