愛を送るための石

 昨日はまたしても爆睡して日記を落とした、不肖・ロズ子○○才。爆睡の理由は、昨日届いた石を寝転がりながら握って、そのパワーを実感しようとしていたことにある。そうしているうちに寝入ってしまったのである(大爆発)。
 一生懸命パワーを感じようとしたのは、実はあまりパワーを感じられなかったからだ(大大大爆発)。「ええええええ〜〜〜〜〜、高かった(大爆発。)のにいぃ〜〜〜〜〜!!!!!!!」というケチ根性に支配され、朝まで一生懸命握っていた(もちろん寝ながら。)が、趣味の習い事に関する満たされない夢を見ただけで、特にどうということもなく朝が来た。無念である(しみじみ。)。
 そんなにパワーにこだわるのは、このところ持ち歩いているトルマリンやクリソベリルが、すんごいパワーを放射している(ように思える)ためである。特に昨日、クリソベリルを出したときは凄かった!!!!!
 「金緑石」の名にふさわしい、ちょっとペリドットに似た(でももっと黄色が入っている感じの)クリソベリルを取り出したとき、そのあたりの磁場がゆがんだような気がした(←もちろん、気のせいかも。)。めまいでぐらぐらする(←妄想かも。)。「…こ、こりゃーーーーー、すごい!!!!!!!!」と思ったので、「新着石」にもそういうパワーを期待したのである。
 しかし、しかしである。昨日到着した石にはそういう強さは感じられず、私は「…やっちまったかも…。」と思っていた。それでも諦めきれず、今日は1日持ち歩いていた。
 帰宅途中の車のなかでその石を握っていたときである。石を通して私の中の「愛」とか「よい部分」を夜空に放射したらどうか、と思いついたとき、石は突然生き生きとした感じになり始めた!!!!!!!!!
 夜空への「愛」の放射を夢想しながら、私は思った。「…あああああ、そうだよね、今まで私は石で『ご利益』を『もらう』ことばかりを考えていた。石を通して『愛』を世界に放射するなんてことは、ぜーーーーーーんぜん、考えてみたこともなかった!!!!!!!」と。
 全くエゴしかなかったものである(しみじみ)。私は今もエゴだらけだし、宇宙に向かって「愛」を放射するといっても特に労力がかかったり直接的に誰かの役に立つということでもないし、しょうもないかもしれないのだが、それでも「良き想念」を放射するのは「悪想念」を放射するよりはずっとずっと世界のためにいいのではなかろうか(と想像。)。
 この石は、「もらう」ための石ではなくて、「放射する」ための石なのかもしれない(しみじみ)。
 この石を持って、たまには私も良き想念を、世界に(しみじみしみじみしみじみ)。