どちらでも問題なし

 今日は我が地域は久しぶりに晴れて(爆)、腕に日差しが痛かった(←脆弱。)。「あああ、日焼けは軽いやけどだよね。」ということを実感しつつ、腕を水道水で冷やし化粧水その他をはたく、不肖・ロズ子○○才(←ひりひり。)。
 思えば明日も外回り(爆)。ドライブのお供に、石はもちろんだが、手袋とかもいるかも(しみじみ)。
 さて、今日は私の頭に、「石でアセンションができるか。」というお題が浮かんだ。
 直観的に答えを出せば、それはたぶん「ノー」である(大爆発)。アセンションそのものの年次や形態が日々刻々と変化しているようだし(←by「ガイア・アセンション」HP)、自分の波動を高めるため、ひいてはアセンションのために、石さえ手に入れればいい、ということではもちろんないだろう(←って、推測形にする必要すらない。)。逆に言えば、石を持っていないとか、石を否定するとかしたところで、別に影響なさそうに思う。
 要するに、持っている持っていない、認める認めないで区別、はありえないのではないかということである(大大大大大爆発)。
 私は石を持ってその波動を楽しみ、癒されている。それはとても素晴らしいことであり、ひいては様々なことからつながっていって「人間性を高めよう」などと思うわけだから(←実行が伴うかどうかはまた別【涙。】。)その点はとてもいい。ただ、石の有無やそれに対する意識が選別の材料になることはありえない。
 何が言いたいのかというと、石を持っていないから、石を認めることができないからといって、「救われないのではないか」という恐れを持つのは全くの杞憂、ということなのであった(大大大大大爆発)。石はそんなに心が狭くないぜ(←地球もな【たぶん。】)。
 いや、そんな恐れを持つ人って、いないとは思うけど(爆)。ただ、状況によっては、そんなふうに思い込んでしまうことがあるのかもしれないと思って、今日はこんな日記なのであった(大大大大大爆発)。