潜りたいとき

 今日は(太陽暦における)重陽節句(爆)。不肖・ロズ子○○才は、重陽も旧暦でやる(←先のばし。)ので、今日は軽くスルーである。
 菊の花もないしな(しみじみ)。
 今日も会社へは(このところの)いつもの石たちを持っていったが、そこにピンク・アンダラを加えた。質問を続けるためである。
 会社でピンク・アンダラを握って見つめていると、小さなインクルージョンのようなものが見える。「…これは、もしかすると気泡かなあ」(←注:私の手持ちのシェラネバダ産の元祖透明真正(爆)ピンク・アンダラには、気泡はあまり入っていない。ただただ透明であるのみ。)と思い、カードルーペで拡大してみると…
 やっぱり気泡なのであった(大大大大大爆発)。
 それはまさに、鑑別者がおっしゃるところの、「流動構造のない単独の気泡」である(しみじみ)。透明薄ピンクの中にぽっかりと浮かぶ丸いそれを見て、「やっぱ人工かあ。」と再確認する私(爆)。
 だが、今日は「意識(命)は万物に宿る。人工のものにも。」という記述を読んだので、たとい人工ガラスであっても質問には答えてくれるだろう(←少なくとも聞いているだろう。)。と思い、窓辺にピンク・アンダラを置いてその色を眺めながら、質問を繰り返す。もちろん、答えてもらえるはずもなく、それは徒労に終わったのだが…
 逆にアンダラがいろいろしゃべったら、それはそれでちょっとなあ(←変!!!!!!!!!)
 今日は私にとっては厄日で、情報の断片を見ては気持ちが深く落ち込むし、仕事では二度目の企画会議も玉砕してしまうし、今も大変暗いというか悲しい気持ちである(しみじみ)。昨日の高揚白飛び状態もどこへやら。水中か地中へ潜って、眠ってしまいたい(しみじみしみじみ)。
 私がこんなにアップダウンするのは、まさ引き起こされた感情によるのであって、決してストーン・ハイとかロー、なのではない。(←と、日記で断る私。)
 この感情の揺れの果てはいったいどこへたどりつくのか。と日々思うわけだが、まあ浅薄だった私に多少の深みは出るであろう(←希望的観測。)