そこは泣くとこじゃない

 今日は、フィギュアスケートのグランプリシリーズを見つつ、石袋の整理などして、まったりとした日曜日を過ごした、不肖・ロズ子○○才。
 グランプリシリーズ・中国大会における、私の注目選手は、鈴木明子選手であった。
 去年のNHK杯の演技も素晴らしかったが、今年の中国大会でも、ショートプログラムで4位につけたというし、しかも1位からの点差があまりない(しみじみ)。これは逆転するかも。と思っていたら…
 やっぱり逆転して、鈴木選手優勝、の記事が今朝の新聞に出ていたのであった。
 後追いで演技をみたが、後半のステップが大変素晴らしく、私は涙目になった(爆)。子どものころからなぜか、フィギュアスケートで素晴らしい演技を見ると涙目になる私である。
 今日はその理由を考えてみた。感動するから泣く、のはまあそうなのだが、ちょっと違うような気もする。
 思うに、選手が無心で演技していると感じられ、それでいて全力を出し切っているように見えるとき、観客のほうに100%プレゼントしているように見えるときなどに、私は泣くようだ(たぶん)。今日の鈴木選手も、100%観客(とジャッジ)に向かってエネルギーを飛ばしていたように見えた。
 私は涙目だが、鈴木選手はただただ「よかった!」という感じで笑っている。そう、私心のないときは、たぶんそうなんだよね…(と勝手に考察)。
 石袋の整理もしてみたが、石袋には1年間の私の「石の歴史」が詰まっている(爆)。去年の今頃は怒涛のようにアンダラを買っていたので、出て来る石もアンダラアンダラ、またアンダラ(時々アネラ)である。
 アンダラクリスタル、近頃はネリーランドのシルバー鉱山でプリママトラにまみれて産出されたというのがニューファウンドとして出ている(しみじみ)。私はアネラを買った瞬間に選別(爆)されたらしいので、もはやプリママトラアンダラを買う気は、100%ない。
 選別はうまくいっていてよ、アンダラちゃーーーーーーん!!!!!!!!!(←やや意地悪く呼びかけ。)
 石袋から出るアンダラは、どれもとても美しい(しみじみ)。これはこれで、大切にするのであった(しみじみしみじみ)。
 その後も、ルビー・イン・カヤナイトで肩井あたりのツボを押したりしてまったりしていたが、ちょっと前にショックなことを見つけて、その後は風呂に潜って泣いていた私である。
 そこは泣くとこじゃないでしょう。むしろ喜べば。とか、だいたい、最初わかっていたし、そもそもどうしようもないことでしょう。そろそろ手放せば。とか、もう一人の自分はいちいちもっともなことを私にささやく(いや、感情の嵐の中なので、叫ぶ。)のだが。
 そう、今までも、充分にわかっていたことなのである(しみじみ)。まさにここは泣くところではない。
 むしろ喜べ、自分(←自分を突き放し。)。
 でもやっぱり、もうちょっと泣くのであった。(←既に涙目。)

追記:この日記を書いてから、軽く2時間ぐらいが経過したけど、よく考えてみたら、本当に泣くところじゃなかったわ。(しみじみ。)