愛の夢 第3番

 昨夜からそんな気がしていたのだが、今朝は車の中でフランツ・リストピアノ曲愛の夢 第3番」を聴きたいと思って、出勤前にCD入れをかき回した、不肖・ロズ子○○才。
 以前からこのピアノ曲を好きなので、きっとどこかにあるはず(爆)。と思い、それっぽいタイトルのものを引き出してはチェックする。すると、キムタク然としたジャケット写真のユンディ・リのCDにこの曲が入っていた(←リスト集。今となっては、何でユンディ・リのCDを買ったのか、全然思い出せない。この人がショパンコンクールの第1位をとったから、なのだろうか??????)。
 この曲を聴くと老人も恋心を思い出す、という「愛の夢」。「…これから会社へ行って仕事、というときに聴く曲でもないよな…(しみじみ。「これから仕事」なら、エルガーの「威風堂々」とか、ハチャトゥリアンの「剣の舞」とか、とにかく勇ましい曲がいいでしょう【←勘。】)。1日「愛の夢」に支配されたら、きっと仕事はものすごく滞るぞ〜〜〜〜〜。」と思ったが、聴きたい気持ちにブレーキはかけられない(←というか、もはやかける気もない。)。ためらいなくカーステレオにCDを入れ、会社へつくまでずーーーーーっと「愛の夢」を聴いていた。
 いつも思うが、大変メロディアスかつデコラティブかつロマンティックな曲だ(しみじみ)。こんな曲を作り、世に残すリストは、やはり神に愛されたタレントなのだろう。
 長野オリンピックの時に、フィギュアスケートイリヤ・クーリックがこの曲でエキシビションに出ていたが、それはもう素晴らしい演技と振り付けであった(回想)。あのときのコーチはタチアナ・タラソワ、当時は確かにフィギュアスケートで天上を希求していたようだったのに、どうして今は浅田真央で「鐘」かなあ(←さあねえ。変容、なのだろうか。)。
 などと考えつつ、ぼーっとしながら会社にたどり着く。今日は「愛の夢」に支配されて、私は仕事はゆるゆるしかできません。と思う間もなくすぐに上司がやってきて、今日の仕事についての資料提出などを私に求めるのであった。
 めちゃ忙しいではないか!!!!!!!(←仕事を溜めてるからだろう、自分!!!!!)脳内では「愛の夢」のサビ部分がずっとリフレインされていたが、脳内とは何の関係もなくバタバタして、昼過ぎには疲れ果てる、不肖・ロズ子○○才である(←脆弱。)。
 昼食はルビー・イン・カヤナイトと水晶を眺めながら食べる(←ぼーーーーーーーっとしていた。)。昼食後に一仕事して、そのあとで急に気づいた。
 カーサクリスタル・ロザリオのヘッド部分が、おへそのところにある!!!!!!!(大大大大大爆発)。
 その位置はありえない。さてはヘッドがはずれたな(←カーサを酷使している私【すみません。いい石なので、つい。】)。と思って、服の下に手を入れてみると、果たして接着部分がとれてしまったクロス部分が出てきた。
 家にある強力接着剤で貼り付ければ何ら問題ないので、はずれたのは別にいい(←ヘッド部分を風呂に入れることができて、むしろいいかもしれない。)。それに、もしかすると今日は、新しいカーサクリスタル・ロザリオが届くかもしれない(←予定。)から、今日までのロザリオは少し休ませて、明日からは新しいロザリオをしていきなさい、という、石からのメッセージかな?????と思ったのだが…(←脳天気。)
 今日は新しいロザリオはまだ届かず、私は「物事はそんなにパズルがはまるようにきっちりと展開するわけじゃないのねえ。」という、いわばあたりまえのことを実感したのであった(大大大大大爆発)
 明日はたぶん届くであろう、新しいカーサ・ロザリオ(←楽しみ。)今日までのロザリオは、しっかりと接着しつつし、ばらく休ませてあげよう(←何せ酷使している私。)。
 帰宅の車のなかでも、ずっと「愛の夢」を聴いていた。近頃は感情の揺れをいろいろと味わっている私(←今現在も、高揚しているというか何というか、ハートのあたりが形容しがたい感じである。)だが、音楽家にはこういうことは必要だと聞いたことがある。ユンディ・リの演奏も、情感たっぷりの、たゆたい揺れるようなリズムで、「スコアをかなり自由に解釈して演奏していますね。」という感じだったのだが…
 これを何回も聴いているうちに、「情感」の部分は感じられなくなり、ひたすら澄んだ純粋な音が響くように感じられてしまうのはなぜ?????????(←さあ。)
 「愛の夢 第3番」はもともと歌曲として作曲されたのだそうで、ドイツの詩人フェルディナント・フライリヒラートの詩、「おお、愛しうる限り愛せ」というのがその歌詞なのだそうだ(大大大大大爆発)。