ワークを始める時

 今日は午後から習い事に行ったが、そこでもやっぱりフィギュアスケートの話題は出、興味深く耳を傾けた、不肖・ロズ子○○才。
 そこには踊りのプロだった人もいるのだが、その方の目から見ると、キム・ヨナのスケーティングは「別格」だったということである。その評価の視点は「流れ」であり、途切れることのない滑らかなスケーティングに、途切れないジャンプやステップが完璧に組み込まれている別格の技術と美しさ、ということなのであった。
 ううーーーーーーん(しみじみ)。それと比較すると、浅田真央のスケーティングは「ブツ切れだった」というのだが、私はいいと思うけどなーーーーー(←ど素人の視点。でも、感情に訴えかけてくる表現が、とてもとてもよかったと思う。)。
 「曲は選曲ミスかな。」とその方はおっしゃっていたが、私もそう思う(しみじみ。)。もともと、ミッシェル・クワンのためにタラソワコーチがこの曲(←ラフマニノフの「鐘」。)で振り付けたプログラムだと、何かの番組の解説で言っていたが、たぶんミッシェル・クワンが滑っていたら、重厚で迫力のあるいいプログラムになっていたと思う。
 なぜなら、ミッシェル・クワンには、「苦境」とか「重さ」とか、そういう内面がありそうに見えるからだ(しみじみしみじみしみじみしみじみ)。
 浅田真央、泣いていてもとてもかわいらしい天使のようだった。トリプルアクセルを毎日100回跳んでも、キム・ヨナやオリンピック出場のプレッシャーに悩まされても、どんなハードな筋トレをしても、長いスランプに苦しんでも、ちょっとどうかと思うような点差がオリンピックで出ても。
 そう、浅田真央は、苦労が顔に出ないのである(大大大大大爆発)。
 これはまさに、天使の資質だろう(と想像。)。キム・ヨナが強靭な顔つきに変わっていたことを思うと(←そして人は普通、境遇や「磨き」により、顔が変わる。)、あんなに素直なまま年を重ねる、というのは、ある意味すごいことだと、私は思うのであった。
 「農奴解放」が曲のテーマという「鐘」(←by 斎藤孝のTVでの発言。)。農奴解放…(しみじみ)。浅田真央からは、ものすごく遠そうなテーマだと思うのであった。
 印象的な曲ではあった。耳について離れないわ(しみじみしみじみしみじみしみじみ)。
 さて、そんな習い事へは、レインボー・クォーツを連れて(爆)行った。
 このレインボー・クォーツは、室内では青色や緑色の光が多く見えるのだが、太陽光下で見ると、ピンクやオレンジの光も見える(しみじみ)。この石でのワークの1つを販売元さんから教えていただいていたので、いよいよそれをやろうと思う私である。
 今まで私は、石をたくさん買って(爆)来たが、「握って眠る」とか「身体の上に載せる」のがせいぜいで、石でワークをしたことはあまりない。「石を握って瞑想」もあまりしなかった(←そしてこれをやる場合は必ず横たわっているので、そのまま眠ってしまい、結局「石を握って眠る」という結果になっている【爆】)のだが、そろそろ意識的にワークをするときが来たのでは。と思い始めたのである。
 理由は、ワークの方法をいろいろ目にするようになったということと、2012年が近いということだ(大大大大大爆発)。それに去年の夏からの内面の嵐と変化。きっと変容のときなのである、というのは言い過ぎかもしれないが、少なくとも手持ちの石でワークをするときが来たのではないかと思う。
 昨日はとりあえず、石と繋がるイメージングをした、不肖・ロズ子○○才(爆)。
 今まで、そんなこともしたことがなかったのであった。(←握って眠るだけで満足していたので。もちろん今も、結構満足だが【しみじみ。】)。
 ところで、チリでマグニチュード8.8の大地震があり、津波が日本にも向かっていて、到達は明日の13時以降だという。
 「え、チリで地震があると津波が来るの。」とか、「津波が来たらどうすればいいの。」(←結構海が近い。)とか、いろいろ想像するわけだが、まずは日本に先立ってハワイに到達するのだそうで、どういう感じになるのか要注目、なのであった。