変本に惹きつけられる

[←ジョット「受胎告知」大天使ガブリエル。下の日記に登場する栞の絵がこれだったかどうかは、今のところ不明(←栞は本とともに会社に置き去り【大大大大大爆発】。)。でも、人物(天使?)は似ているが、この絵じゃないかも、である。栞の天使は、なんと窓から顔だけ出しているのだ(爆)。 
 昨日はアントニオ・ヴィヴァルディの誕生日(!)だったのだそうで、Googleのデザインがバイオリン(に四季が生えたもの)になっていた。
 そのデザインに超驚いた私がカーソルを持っていったら、「今日はヴィヴァルディの誕生日です。」と出たので、会社帰りに千住真理子N響アンサンブル演奏のCD「四季」を聴こうと思った…のだが、案に相違してCDが車にのっていなかったので、今朝改めてCDケースから取り出し、カーステレオに入れた私である(しみじみ)。
 このCDは、去年の春に発売されたものだ。千住真理子が、「意志のある」バイオリン、ストラディバリウス「デュランティ」で演奏し、「イタリアの楽器なので、イタリアの曲を奏でることを喜んでいる」というコメントを新聞で読んだので、「どんな音かな〜〜〜。」と買ってみたのだが…
 なーーーーーんと、ものすごく「歌っている」ので、最初聴いたときは仰天したのであった(大大大大大爆発)。
 バロック音楽は、その時代の演奏法に合わせて、「淡々と」演奏するのがいいと聞いたことがある(ような気がする)のだが、「淡々」なんてどこへやら、この「四季」は半端ではない。特に「春」の第一楽章、ビブラートかかりまくり(に、私には聴こえる)。
 2人ほどに聴かせてみたが、皆「元気よすぎ。」と言うのであった(大大大大大爆発)。
 しかし、派手な壮麗な音楽が好きな私は、この「四季」を気に入っている(しみじみ)。抑え目の(と私には思った)イ・ムジチ合奏団のCDを聴いたときは、「…もうちょっと、痒いところに手が届かないんですけど…。」という印象であった(←注:だいぶ以前。しかも、それ以来聴いてきない。)。
 その「四季」を聴きながら会社に着き、今度は本を広げる。すると、本の間から栞が滑り落ちてきたので、慌てて手ではっしと捕まえる私である。
 …これは(これも確か去年の春)、美術館の特別展示を見に行ったときに買った栞だが、いったい誰の絵だろうか(さあ)。図柄は「受胎告知」のようだが。…この切れ長の目……
 で、「切れ長の目」で思い出した。たぶんきっと、見に行ったのは「ジョット展」で、この板絵の作者はジョットだ、きっと(←間違っていたら後日訂正いたします。)。
 今日も首にはカーサ・ロザリオをかけ、お昼にはレインボー・クォーツを握る。感情の揺れをなだめるべく、レインボー・クォーツの虹に目を凝らす私である。
 スモーキーっぽいレインボー・クォーツには、ハートを開く働きがあるそうだ(←注:伝聞。)開いてどうにでもしてちょうだい(←と、石に向かって語りかけ。)
 会社帰りにはまたしても書店に立ち寄り、変わった本を見つけて購入した。
 もちろんスピリチュアル関係の本なのだが、内容もデザインも変わっていて、何よりも安い(大大大大大爆発)。
 内容は「変」かもしれない(←まだ読んでいないので何とも言えない)のだが、その安さに、「この本を世界に広めよう!」という作り手の気概のようなものが感じられて、「そうだよね、『高波動』とか『救済』とか言って、高いお金とったらたぶん台無しだよね。」と、価格設定に共感する私なのであった(大大大大大爆発)。
 ちょっと読んでみて、「合わない」と思ったら、この本もたぶんブックオフ行きだが(←こらーーーーー、自分!!!!!!!)。
 今の私がこういう(変な)本にひきつけられるということが、というか、この(変な)本が今の私に向かってやってくるということが、私の状態を表しているかのようで、自分でも興味深いのであった(しみじみしみじみ)。