つまらないことを

 今日はこどもの日。不肖・ロズ子○○才の連休も今日で終わり、明日からはまた会社(←あたりまえ。)だ(がっくり)。
 そんな今日を、私は概ねまったりと過ごした(←いつも通り)。
 朝はまたしても、ドラゴンブラッド・ジャスパーの丸玉をウエストの下に感じながら目覚める(大大大大大爆発)。どうしてもそこを癒したいでしょうか、丸玉様(←さあ。)。
 丸玉をさすりながら布団の中で手を移動してみると、「確かに手が下に下がればそのあたりにいくかも。」という感じだったが、手をまっすぐに下ろせば、ウエストの下というよりはむしろ太ももの付け根の下に行くはずである、丸玉。
 ま、そこよりはやっぱり、ウエストの下の隙間のほうに入りやすいのだろうが(←想像)。
 ゆらゆらしながらドラゴンブラッドを箱にもどす。この石は、大変美しい緑色の箱に入ってやってきて、石にはもちろんのこと、箱にも大変感心している私である(←。)。
 さて、この日記を読んでくださっている方々はお気づきでしょうが、私は大体大雑把で、いろいろなことに気づきにくいほうである。
 もうぜーーーーーんぜん空気を読まない(あるいは読めない)こと多数(大大大大大爆発)。勘は働かず洞察力もなく、視野もどこまでも狭く。まとめて言えば、「鈍で幸せな私」なのだが…
 気にかかっていることや興味があることについては、その限りではない場合があるのであった(自爆)。
 昨年度は直属の上司と時々、「大変だがどうしようもないこと(←主に社会情勢や世界のしくみ。)について、気づいたほうが幸せか否か」という話になったものである。気づいてもどうしようもない、不毛かつ悲惨な事態について、気づいたほうがいいか否かを、「それはわかりませんねー、どっちがいいか。」などと話していたのだが…
 結局、「まあでも、たといどうしようもなくても、『知っている』ことは人間として大事でしょうね。」というようなまとめで、常に話を終わっていた(爆)。
 で、私である。今さっき、とても微妙で小さい変化(←注:私的事項。社会情勢とは何の関係もありません【爆】)を発見し、現在そこはかとなく暗く落ち込みつつ、「いっそ見なきゃよかった。」と思っているのだが…
 そう思いつつもいつもそこをチェックしてしまうということは、やっぱり本当は「現実を把握したい」と思っているのかな(←そうなんだろうなー。)。と思っているところなのであった。
 現実。それは時として、暗い落ち込みの種になる。自分にとってつまらないことは知らないほうが、いっそ幸せなのだろうが。
 でもなんだかそれもやっぱり。と思う自分も、確かに存在するのであった。(がっくり。)