「変換」できるかな?(さあ。)

 9日も晩ご飯を食べるや否や布団に倒れこんで眠ってしまい、今(←10日。)になってまた「前日の日記」を書いてる、不肖・ロズ子○○才。
 9日もライバル同僚が重用されている(←もはや次世代リーダー格。しくしく。【←と、他人の重用をひたすら無念に思う、了見の狭い私。】)事実を思っては苦く重たい思いを噛み締めていたが、その感情を噛み締めつつ、習い事に向かう車の中で、タンザナイトを握りつつ思った。
 「…そうは言っても、休み中の私は会社からかなり気持ちが離れているし、ライバル同僚や自分の評価が気にかかるのは、もしかして会社に出てる時だけかも。習い事に行くとくときは、習い事の出来と先生からの評価が私の関心事の全てだし(大爆発)、もっと言うと、退職したら、会社内の評価や人事なんて、全然関係ないかも(←ないでしょうなあ。)。さらに言えば、(私はそれを全然実感していないので、真の意味では理解していないが)人生から退場するときも必ず来るのよね…。」と。
 そう。私は会社内のことで一喜一憂し、上司の評価を大変気にかけているが、私がどんなにしがみついてもいずれ退職するときは来る(←定年では絶対だ【爆】)。外から会社を見たとき、その人事評価なんて…
 組閣よりも関心の外。だろうなあ(大大大大大爆発)
 会社へ行けばまた大変気に病むだろうが、所詮自分のコップの中の嵐に過ぎず、しかもどうでもいいかもしれないのであった。
 というわけで、習い事では「習ったことがどの程度再現できるか」に支配される(大爆発)。
 でもたぶんこちらのほうがずっと建設的なのであった。(しみじみしみじみしみじみしみじみ。)
 というわけで、帰宅後は『変換2』を読みつつ石を握る。次元上昇のための期間はあと数年しか残っていない、ということだが、うーんこんなに負の感情がいろいろ出てくるようではなかなか難しいであろう自分。
 なのであった。(大大大大大爆発)
 そしてタンザナイトとカーサ・オブシディアンを握り、『変換2』を読みつつ、わずか5分で眠ってしまったというのが9日の私で、
 それで今、昨日の日記を書いている、ということなのであった。(そして冒頭にもどる。ぐるぐる【爆】。)