劉暁波氏

 10日も晩ご飯後にはカーサ・オブシディアンとタンザナイトと『変換2』を手に布団に倒れこみ、結局そのまま眠ってしまった、不肖・ロズ子○○才。
 この3、4日というもの、どの日も10時間ぐらいは眠っており、お肌には大変よさそうな睡眠時間帯である(しみじみ)。昨日眠りに落ちる前に読んでいた『変換2』の項目は「若さの維持について」というようなタイトルのところであり、若さを保つためには、調和した愛の実践のもと、「若くある」と自分で決めればよいというような感じの内容(←注:私的理解。実際どう書いてあるのかは、皆様それぞれが読んで解釈してください【自分の解釈に自信なし。】。)であった。
 「自分で決める」…。この簡単そうなことが、私にとっては結構難しい。何せ、自分に内在する力をあまり信頼していないのだ(←信頼せよ、自分!!!!!)。
 とにかくこの本を読み込んで、「受振」に努めるのであった(←そのくらいならとりあえずできるかも。)。
 さて、京都では「石ふしぎ大発見」展が開催されているようで、私がネットショッピングするお店も数々出店されているが、そんな中(かどうか知らねども)、私が「こっちの石にしようか、あっちの石にしようか」と激迷っていた石の片方が売れてしまった模様である。
 迷う必要がなくなったじゃん(←いいんだか悪いんだか。)。というわけで、残った1個を購入する所存なのであった。
 こういうことは時々ある。迷っている石のうちの1個が売れて、選択の余地がなくなるという(大大大大大爆発)。
 優柔不断しているときの私には、いいかもしれないのであった。(しみじみしみじみしみじみしみじみ。)
 ところで、ここ3、4日で急激に(我が地域の)季節は移っている。気温は下がり、空は澄み(←晴れているときは。この3日ぐらい前は、星がとても高いところにあって、美しかった。)、おとといなんか雁が隊列を組んで、鳴きながら渡っていった。(@夜。鳥は「鳥目」じゃないのだろうか【ないんでしょうなあ、夜も飛べるということは】。)
 そして世界の季節も移っているのか、ノーベル平和賞が変わったことになっている(←注:感想。)。「中国がノーベル平和賞に抗議」という文言も、何だか矛盾を含みまくっているように感じられておもしろかった(爆。すみません。)が、選考委員・ヤーグラン委員長の次の言葉は大変印象に残った。
 「もし我々が皆、経済など自己の利害から沈黙してしまうようであれば、国際社会に受け入れられてきた(人権の)基準を下げてしまうことになる」
 激共感(大爆発)。今現在、ネットに「劉暁波」と打ち込むと中国には繋がらないのだそうで、試しに(爆)入力してみる私なのであった(大大大大大爆発)。
 それにしても、「国益」とか国家間のさまざまは、「うばう発想」に満ちている。と感心しつつ、持って他山の石とすべく、自分の「うばう発想」を検証するのであった(←いっぱいある、いっぱい【自爆】)。