プライドの使いどころ

 まずはチリの落盤事故の方、救出されておめでとうございます!!!(←ねぎらい。)「救出はクリスマスごろの見込み」などという最初の「見込み」を聞いた時は、(自分が閉じ込められているわけでもないのに)倒れそうになったものですが、救出が早くなって、本当に、良かった!!!!!
 あと19人の方も頑張って!!!!!(大大大大大激励。)
 というわけで、チリの落盤事故で閉じ込められた方々の救出開始ニュースを聞くとともに始まった本日。不肖・ロズ子○○才は、「外側の私」が囁く、次第に小さくなっていく「プライドプライド。」の声を時折聞きながら、1日を過ごした。
 プライド、私にとっては自分のためなら何の役にも立たない(←それどころかかえって害。)が、視点を変えて、人のためなら役に立つかもしれない(←思考の果てにここにたどり着く。)。もしも相手が、それを望んでいるならば……。
 初めてプライドの使いどころに思い当たり、私はびっくりする(しみじみ)。そんな、「自分」を跡形もなくしてしまう、自分にとっての「最終兵器」みたいな使いどころがあったのか…。(←率直な感想。)
 もちろんそんなの、(できれば絶対)使いたくないのであった。(しみじみ)。
 とりあえず「役に立たないものはない」ということで納得する(自爆)。なるほどね、いろいろあるのねえ(勉強になったなあ。)。
 この件によって、「ライバル同僚が重用されている件」は相当どうでもよくなり、もうどうぞどこへでもご自由に。という感じなのであった(←注:今のところ)。
 今日は微妙で複雑な気持ちと感情の揺れを噛み締めながら、『変換』を読み石を握って眠る。
 考えてもわかるはずもないことに、思考と想いをめぐらせながら。