それは「愛」なの???

 まさかこの日記を読んでいるわけでもないだろうが、今朝は昨日の「新入社員」君がやってきて、目を伏せつつ「勉強不足ですよね…。」とのたもうた。
 「うん、不足してるね!!!」と私は心の中で即答した(大大大大大爆発)が、口ではもちろん「いえ、そんなことないですよ。」と言ったものである(しみじみ)。
 これは優しさなのか礼儀なのかマナーなのか欺瞞なのか。たぶんその全部を混ぜ込んだものだろう(考察)。
 そんな今日は、やはりカヤナイト・ロッドとともに目覚め(←この石と一緒だと、本当によく眠れる【しみじみ。】)、日中はアンデシンのブレスを腕に巻いていた。このさざれアンデシンのブレスは、グレードはたいしたことないのだろうが、私に「調和した愛を放てよ。」と意識させてくれる効果は多分にある。
 お昼にはレッド・アンデシンを見つめつつ、『変換1』を読んだが、『変換』上のレッド・アンデシンは強烈な赤色の光を放っており、どう見ても「愛を放つのよ。」と強そうに言っている雰囲気であった(しみじみ)。
 愛。言うのは簡単だが、その内容は(私には)よくわからない。きっとエゴの対極だろう、とは思うが、世の中には何て「愛」を語るエゴイズムが多いことだろう(←注:私の感じるところ。)。
 本当の「私心なき愛」を実践している人というのはあまり見たことがないし、言葉の上だけでも、本当の愛を語っている人は激少ない(と思う)。だいたいはエゴからの発言だよね。と私は感じ、それが匂ってくると(自分のことは脇に置いといて)鼻白んでしまう。
 のであった。(大大大大大爆発)
 レッド・アンデシンの放つ愛は、何だか強そうだ(←注:私見。)。「戦う愛」という感じだが、なぜ何のために戦う、その愛?????(←さあ。) 
 夕刻からは会議があり、ここでもエゴ丸出しになりそうだと自分のことを予測した私は、自戒のために腕にアンデシンのブレスを巻いた。できるだけ「サポートする」「うばわない」を実践するためである。
 それでうまくいったかというと、やっぱりうまくいかなかった(大大大大大爆発)。ライバル同僚が発言し始めると、ついそれを押さえ込みに回ってしまう、不肖・ロズ子○○才(←吝嗇。)。
 そんなことをしてしまうのは、ライバル同僚の言葉の端々にエゴを感じるからだが、押さえ込みにまわる私も、負けないぐらいエゴに満ち満ちているのであった。(しみじみしみじみしみじみしみじみ。)
 ま、レッスンよ、自分(自爆)。
 明日も月曜日も、このレッスンができる(とほほ)。
 1歩進んで3歩下がる、なんてことにならければいいが(なりそうではあるけども【爆】)